2017/12/03

太宰治の辞書【文庫版】

太宰治の辞書 (創元推理文庫)
北村 薫
東京創元社
売り上げランキング: 6,545
■北村薫
太宰治の辞書』は新潮社から2015年に単行本が出てすぐ買い求め、読んでいたので、本書(創元推理文庫版)が本屋の文庫コーナーに並んでいるのを見ても「あれがもう文庫になったのか、早いな。表紙は同じだな」と思っただけだった。
ところが先日、友人の旅犬さんから文庫に書き足しがある、解説に目から鱗のことが書いてあった、などの情報を教わり、書店で手に取ってぱらっと中身を確認したら本文がどうこう、というのではなさそうだが文庫版にしか収録されていない小文があるし、作家・米澤穂信の解説は斜め読みではもったいなさそうな力作のようだ。
というわけでその場で購入。

なにせ2015年の単行本なのでだいたいの内容は覚えているし、単行本出版時にあった
「あの『私』はどうなっているの!?」
という物凄い引力は無いが、しかしモノがモノだけに読み流すわけにはいかない。
というわけで体力・気力があって、落ち着いて「読みたい欲求」が溜まるまで寝かせてあった――のを、今朝になってようやく読みはじめ、あいだに家事や買い物をはさみつつ、先程読み終えた。

まず文庫を開くとカラーの美しい写真ページが1枚あって、古い本が3冊写っている。
大正3年『日本印象記』の新潮文庫、平成26年に復刻された100年前の新潮文庫『人形の家』、そして大正13年至誠堂書店『掌中新辞典』の表紙有り、だ。
これについてはこの文庫を最後まで読めば、もう一度思わず見直したくなることと思う。

そして創元推理文庫の中表紙にある推薦文は穂村弘!

続く【目次】を開くと、
花火
女生徒
太宰治の辞書

――までは単行本と同じだが、文庫版ではこの後に
短編「白い朝」(単行本『紙魚家崩壊』所収と同じもの)
さらに、
エッセイ「一年後の『太宰治の辞書』
二つの『現代日本小説大系
が収められ
解説:米澤穂信
で締められている。

「一年後の『太宰治の辞書』」にはクラフト・エヴィング商會さんが登場したのでおお、とびっくりしたり感嘆したり。
「二つの…」は『六の宮の姫君』に絡んだ、マニアック過ぎるというか北村先生らしい、エピソード的な後日譚、とでもいうのだろうか。

*** *** ***

今回の本編再読で、どうしても「私」と「北村薫」を重ねて読んでしまって、それはあんまり良い読み方じゃないことは承知なのだが、でも何故そうなるかというとこの「私」の現状は
40代の兼業主婦。大手ではない、硬めの書籍を扱う出版社に勤める編集者。
中学生の野球部の息子が1人いて、夫は会社員。
――なのだが、その設定があんまり実感されるような主婦日常描写がほとんど無かったからで。
どうしても「文芸関係の仕事をしている中年男性」言動と読んだ方が抵抗が無かったからだと思う。

たとえば息子の設定だけど何故わざわざ「野球部」にしてあるのかなあ、そうなると泥だらけの洗濯物が毎日出るから毎日別に予洗いしなくちゃいけないユニフォームやらタオルやらが出るはずで、試合ごとのお母さんたちの応援とかビデオ撮影とかいろいろ大変なんだと思うけど、そういう描写が出てこない。
朝食にタンパク質がどうこうあったのと、土日も部活があって、朝中学校に見に行って他の父兄と少し会話を交わすくらいのもの。

終盤では日曜日の朝から詳しい説明もしないままに――夫に「仕事?」と聞かれて「のようなもの」と答えて一日家を空ける主婦、しかも中学1年の野球部の息子がいる――ってどうなんだろう?

などと話の本筋とは全然関係ない所を、読書のあいまに夕飯の準備として里芋の剥きにくい皮をむきつつ、考えたりしてしまった。「読書」ですらこうやって「中断」を余儀なくされるのに、ここまで「調べもの」に時間を割けるのって「専業主婦のいる職業作家(男性)」の発想じゃないのかなあ? なーんて考えちゃったり。この主人公がやってるのが「仕事」だったらまだしも「純然たる趣味の調べもの」だからなあ。仕事絡みでついでに調べることも多いんだけど、うーん。

まあ、こういう生き方の子持ち兼業主婦の女性もいらしゃるかもだし、家庭のありかた、ひとの生き方なんてまさに様々。「ひとそれぞれなんですよねー」で済むんだけど。

本筋についての感想は、単行本を読んだときとあまり変わらなかった、と思う。
この本は「太宰治」についても書かれているけれど、やはり「太宰治ファン」に多く見受けられるような、熱病にかかったかのような情熱は無くて、純粋に一文学ファンとして、公平な立ち位置と視線で書かれているのが逆に新鮮というか。同じ北村さんでも芥川とはやっぱり扱いが違うなという。
あと、「解説」を先に読んだので、円紫師匠と私の関係の変わったこと、も頭に置いて読んだけれども、これは、主人公が40歳を過ぎているという設定を踏まえて読んでいると、ごくごく自然すぎて、だから単行本を読んだときにもなにも引っかからなかったんだろうけど、「そう云われたら、そうだな」と。

学生時代に散々読んで、社会人数年後に読もうと思ったら読めなくなっていた「はしか」の太宰治をもう一度読めるとは思えないので読むことは無いと思うが、萩原朔太郎についてはもう少し、いずれどこかで、これもしっかり折り合いが付けば――と心に付箋をつけた。

単行本読了時の感想