2017/08/01

道化師の蝶

道化師の蝶 (講談社文庫)
円城 塔
講談社 (2015-01-15)
売り上げランキング: 105,104
kindle版
■円城塔
中篇2篇収録。
初出は「道化師の蝶」が「群像」2011年7月号、「松ノ枝の記」が「群像」2012年2月号。
2012年1月単行本刊、2015年1月文庫化の電子書籍版(解説は割愛)。
表題作は、第146回(2011年下半期)芥川龍之介賞受賞作品。ちなみに同時受賞は田中慎弥「共喰い」である。

円城さんの作品だから難解なんだろうとは思って読みはじめたら着想というか、発想がすごく面白い。部分部分は全然難しくない。でも、それがまとまってひとつの小説ということになるとだんだん頭のなかが混乱してくる。やっぱり難解、ということだろう。

「道化師の蝶」はⅠ~Ⅴの章に分かれているが、そこに出てくる「わたし」が一見同じ人のようにさりげなくふるまうのだがよく読むとおかしいところに気付いて、「あ、別のひとだ」とわかるのはまだいいとして(だって「わたし」って単なる一人称だもんね)、A・A・エイブラムス氏も章によって違う、少なくともⅠ章では「彼」と呼ばれ男性の話方をしていたし男性と思っていたがⅡ章ではさらりと女性にしかありえない描写が出てくる(【A・A・エイブラムスはその死の先年から子宮癌を患っており】なる一文に出くわして読んでいてぶっ飛んだ)。ちなみにエイブラムスの死因はエコノミー症候群である。
「わたし」も男性だったり女性だったり、どちらとも読めたりする。
まあⅠ章は「友幸友幸」が書いた小説『猫の下で読むに限る』の内容だからここだけ別というのはまだわかるにしても、その後も続くんだよなあこの現象。

それに加えて登場人物が「一筋縄では特定できないところ」、時間軸もどうやらSFになっている。
【今はもうすっかり忘れてしまったが、かつてわたしはそんな網を編んだことがあるに違いない。少し違ってあの網は、わたしが将来編むことになる網だと気づく。その瞬間に明解にわかる。どこかの過去の人物が、未来のわたしが忘れてしまった部屋のどこかでその網を拾い上げ、骨董屋に持ち込むのだとわかる。】
ざっと、こんな調子だ。
頭のなかで状況を確認し、脳ミソがでんぐりがえりそうになる。
断わっておくがこの話はタイムマシンは関わっていない。それが出てきたら一瞬で解決する矛盾なのだが残念ながら(?)そういう話ではないのだ。ただ「わたし」がそれを理解している、ということが重要なのだろう。

そんなわけだから「道化師の蝶」「松ノ枝の記」と続けてとりあえず一読し、頭のなかがコンランしていたのでそのまま最初に戻ってもう一回気になるところを中心に目を通し直した。

そんなにわけがわからないのか、じゃあ面白くないのか、と云われたら「そんなことはない。」
面白いんである。何故かと云うと、「よくわからない」ところがあるとしても、「わかる」そこだけを拾っていってもやっぱりアイデアが素晴らしい。センス・オブ・ワンダーがある。

「道化師の蝶」と「松ノ枝の記」は別の話だが、両方「本」「言葉」「物語」「創作」「翻訳」「自分と他者」といったような共通のテーマがいくつも見つかるから、ごく広い意味ではリンクしているというか、続けて読んで両方合わせて味わい深いというか。「松」のほうが分かりやすいかもしれない。

両方アラスジが書きにくいし、アラスジを書いたとしても話の魅力のごく一部しか伝わらない。

「道化師の蝶」
旅の間にしか読めない本。銀色の糸で編まれた小さな捕虫網。着想を捕まえて歩く仕事。ある本をどこで読むのが適切かという視点。ほとんど飛行機の中で暮らす。架空の蝶=道化師。
「さてこそ以上」。無活用ラテン語。

そして「道化師の蝶」の真の主人公(?)ともいえる、数十の言語で作品をものした作家、友幸友幸(トモユキ・トモユキ)。その正体は本名や年齢や現在の生死まですべて謎に包まれている。世界各地に彼が暮らしていた部屋と原稿と収集物が残されている。
Ⅳ章で刺繍したり銀糸で捕虫網をつくったりする「わたし」が「友幸友幸」なのかなあ。女性っぽいよなあ。言語の習得の描写もあるし…。

Ⅴ章の「わたし」は友幸友幸の捜索をしてA・A・エイブラムス私設記念館へ定期報告するのが仕事のエージェント。そしてその報告レポートを受け取る「年配の女性」はⅣ章の「わたし」となんとなく重なる(「手芸を読める」とか「主に私の書き記したものたちで、手芸品はほんの添え物」だとか)。

そして最終部、「わたし」と鱗翅目研究者の老人とのシーン。
【わたしはこうして解き放たれて、次に宿るべき人形を求める旅へと戻る。一打ちごとに、過去と未来を否定して飛ぶ。かつて起こったとされることも、これから起こることどもも。】【わたしは男の頭の中に、卵を一つ産みつける。】
つまり「蝶」だったのか、真の主役は。
「胡蝶の夢」なる説話を思い出す。そういうこと?その発展系?

いろんな読み方が出来るだろう。また時間を置いて読み直したい。まだまだ理解が及ばぬ、楽しい世界が深く広くありそうだ。

「松ノ枝の記」
「わたし」と「彼」がお互いの著作を「翻訳」しあう。それぞれお互いの母語を完全に理解しておらず、辞書も用いず、だいたいわかる範囲で翻訳していくために元の原書とは全然違う話になっているのだが(それもお互い承知できるくらいの相手の母語についての語学力はある)、それで双方文句なし、という協定を結んでいる。
さらにお互いが訳した話を更に訳しなおす、みたいなことも始める。つまりA≒A’≒A'’で、そういうのは実際に村上春樹がやっていたなあ、「象の消滅」だったと思うけど。たしか英訳されたときにかなり削られたとかで、それはそれで気に入って、それをまた日本語に村上春樹が訳したと。そのことを踏まえているのかどうかわからないけど、まあ全然違うところから出て来たんだろうな。

で、そこだけで話が終わるんじゃなくて、「わたし」が「彼」に会いに行くところから話がまた違ってきて、要は「彼」は実態じゃなくて会えたのは「彼女」だったんだけどネカマとかそういう話では無くて「彼女」の中の「読む力」と「書く力」が分断して書く方が「彼」になっているとかそういう…。

うーんこうやってスジを拾ってしまうと凡庸に見えてしまうけど実際読むと全然違うんだよなあ、世界観とか雰囲気とかが合わさって。
でもそういう意味では「蝶」よりストーリーがくっきりしているかも。
というわけで無粋な真似はこのへんでやめておこう。

やっぱりよくわからないけど円城塔は面白いし好きな作家だ、ということだけは確認できました。