2017/07/04

ボルドーの義兄

ボルドーの義兄
ボルドーの義兄
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講談社 (2014-01-17)
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kindle版
■多和田葉子
初出は「群像」2009年1月号、2009年3月講談社刊単行本の電子書籍版。

主人公・優奈は、ドイツのハンブルグに住んでいる学生(「今でもハンザ都市と呼ばれるこの町で大学に通う優奈」「やっと二十歳代半ばに達したところで」とあるから25歳か。)
ふと目にした講演をする年上の女性レネ(「銀色の髪」「何十年も前からハンブルグでフランス文学を教えて」「町の文化白書で偶然レネがハンブルグに昔あったフランス語文化研究所の館長だった」などとあるから60~70そこそこくらいだろうか)と親しくなる。

フランス語の勉強をしたいとレネに相談し、彼女に勧められ、レネの義兄(レネの姉より20歳以上若い夫。モーリス。作家。)が夏の休暇の間2カ月余りベトナムに滞在する間家が空くので、そこに滞在するためにフランスのボルドーに赴く。

最初、そのボルドーの駅で待ち合わせするシーンから始まり、レネと知り合った頃に遡り、会話の中で思い出されたことにどんどん話が飛び、飼っていた猫(タマオ)が生きていた時分、亡くなって以降、過去と現在が入り混じって物語が構成されていく。筋らしい筋は無く、身辺雑記・日常活写的な内容。
数日かけてプツプツ途切れながら読んでいくと頭の中がこんがらがり、毎回数ページ戻って読み直す感じ(この前読んだのもそうだったな)。
最後まで読んで「え・これで終わり」とまたもや思わされる。
物語をたどり直すようにもう一回頭から読んでいくとすんごいよくわかる。一読目はひたすら手探りで、最初に待ち合わせてる相手がまずわからなくて「モーリスって誰?」「優奈って若そうな名前だけどいくつなんだろう?」って感じで後で説明がどんどん積まれていく感じの構成なので。

優奈は毎日の出来事の芯みたいなものを漢字一文字で記録している。一日一個というわけではない。その一文字がごく短い各章(長さはバラバラ。出来事ではなく、考えたことで成立している章もある)のタイトルになっているのだけれど、漢字そのまんまではなくて、何故か鏡文字になっている。逆さまではなくて左右反転。内容的に漢字の意味の逆のことが、とかいうわけではないが、そのまんまにしていないということには何らかの意図があるんだろうなあ。
あたしの身に起こったことをすべて記録したいの。でもたくさんのことが同時に起こりすぎる。だから文章ではなくて、出来事一つについて漢字を一つ書くことにしたの。一つの漢字をトキホグスと、一つの長いストーリーになるわけ。

レネと優奈の関係がよくわからなくて、まあ一種の友情だと思うのだけれども、どこか恋愛関係めいている。「ソファの隣に座ったらケンカは終了の合図」とか、恋人同士みたいなんだもの。別に一緒に住んでいるわけではなくて、でも知り合ってからはかなり頻繁にレネの家に行っている。レネは昔は結婚していたが夫と死別し、いまは寡婦。
「尼さん」についての言及があり、本作(2009)次に発表されたのが『尼僧とキューピッドの弓』(2010)なのでニヤリとする。
レネは姉の話はしないし、けっこう地雷っぽい。刑務所に入っていた、と書いてある。

そのわりに、本作を読んでも、タイトルになっているくらいなのに、ボルドーに住むこの義兄がよくわからんのだよね。レネを通して見た義兄(モーリス)。
モーリスは濡れ衣をきせられて反論するかわりに、一人、ノルマンディーの小さな宿にこもり、怒り狂った人間にしか真似のできない猛烈な速度で自伝を書き上げた。その本は数週間たつと、今週一番売れた十冊の本のリストに載った。
モーリスは怒り狂って、失うものはもうないっていう状態に陥って、キリスト肌を脱皮して、プライベート哲学をゴミ箱に捨てて、民衆の感情の河に身を投じて、大衆の神経系に触れることができた。
当時わたしはモーリスが自分自身のためにものを書くことを認めなかった。

優奈とモーリス。
モーリスと優奈は不器用にしかし丁寧に英単語を交換しあった。サイゴン、祖父、数年間、大切な数年間、僕の初めてのアジアへの旅、僕の次の本、祖父についての本。
「ボルドーには、大切な場所が全部で四つある。庭園、市場、ユートピア、水」と英語で言った。

終盤、優奈はプールに行くのだけれど、そのときに辞書を持って行く。それをプールサイドに置いて水に入っていると栗色の長い髪の女が辞書を盗んでしまう(【辞書泥棒】は出てきたときからそう書いてある)。その盗まれ方が盗んでいるところをずっと目にしていて、相手も気付いているのに、止められないというまるで悪夢のような不条理な感じで。
そしてタマオの死についての回想。
プールのロッカーの暗証番号を忘れてしまい、泣いているといつのまにか辞書泥棒が後ろに立っていて……。

優奈は人生で3回、フランス語を習おうとして挫折している、と書いてある。辞書を盗まれた一連の出来事が3回目。優奈にとって「言葉」「言葉を学ぶこと」「辞書」はそれだけのことではなく、いろんなものを含んだ意味のある事象であるのだろう。
ドイツ語で話をし、フランス文学を教えるひとに惹かれ、フランス語を学ぶためにやってきた場所で知人であるモーリスとは英語で話している。
優奈にとって「フランス語」とはなんなのか。
2回目の挫折
フランス人の書いた本を持たずには電車にさえ乗りたくないというほどなのに、フランス語を習いたくないのはなぜなのかについて、優奈はハンブルグでは考えたことがなかった。】№567
そして優奈はずっと忘れていたヴィヴィアンヌについて思い出す。彼女はアントウェルペンの出身で、大阪の語学学校でフランス語を教えていた。その入門コースに申し込んだ優奈は、そこで文法的に間違った作文を得意になって読み上げ、ヴィヴィアンヌに叱責され、【屈辱感に耐えられず教室を飛び出した。フランス語を勉強しようという試みがくじかれたのは二度目だった。
1回目の挫折。
大阪での高校時代、友達が地方紙で「フランス語教えます」という広告を見つけ、その家に行ったら出てきて挨拶した男イヴェス・Sはアフリカ大陸出身(おそらく黒人だったのだろう)で、アラン・ドロンを想像していた友達はそのまま帰って来てしまった。
優奈もその頃は、その友達と同じくらい無知だった。フランス語という言語が、アフリカ大陸に移民として出かけて行って、そこでどういうことをしたのかについてはまったく知識がなかった。優奈は図書館へ行って、歴史の本を何冊か読んだ。】№1039
優奈は彼のところでフランス語を習う決心をしたが、電話番号はもう繋がらなかった。その彼の身にその後何が起こったのかは【何年かしてからある映画で知った。】。

つまり優奈にとってフランス語とは十代の自尊心を傷付けられたトラウマであり、無知と羞恥の象徴であったということだろうか。それをいうならドイツ語だって相当なもんのような気がするし日本語だって、ねえ。
いやーそれにしても難解だなあ。全然読み込めた気がしない……。