2017/07/24

女の宿

女の宿 (講談社文芸文庫)
女の宿 (講談社文芸文庫)
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佐多 稲子
講談社
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kindle版
■佐多稲子
1963年1月講談社刊、女流文学賞受賞、1990年7月講談社文芸文庫刊の電子書籍版。

未知の著者だったが、以前の講談社セールのときに冒頭数行読んでみて面白そうだったので購入してあったもの。
先日読んだ吉村昭私の好きな悪い癖「心に残る人々」の「青山斎場」に佐多稲子の葬儀に夫婦でに参列したという話、生前の関わりの話が出てきて、はあ、ここで繋がっていたのかと思った。たまにこういうことある。
佐多稲子。
1904年(明治37年)6月1日―1998年(平成10年)10月12日。

女の宿』は短篇集で、たまに左翼関係で「未決に入っていた」とかいう登場人物が出てくるからさてはと思っていたらウィキペディアに【1932年には非合法であった日本共産党に入党している】とあった。

最初の話が関西弁だったので関西の方なのかと思っていたら他は関西弁では無く、長崎生まれで小学校に入ったくらいで一家で上京している。

人生の中の幸福面よりはどちらかというと苦労話、暗い面を書いた話が多く、しかし何かそれだけに終わらない「力強さ」みたいなものもあって、また現代の話ではなく少し昔の、1950~1960年代=昭和30年代の日本が舞台なので、その時代への興味もあわさって、面白くて続けて次、次と読むが質量もそれなりに伴っているのでいくつか読んだらあえて少し頁を伏せるなどして気持ちを調整した。

以下に目次と、発表年月(この本ではそれぞれの最後に掲載されていて良かった)、簡単な覚え的メモを記す。

目次】+(発表年月)+好きな話に印 +ざっくり内容メモ。

内容に触れています。未読の方で白紙で読まれたい方は以下スルー推奨。

一部[  ]内は重要ネタバレにつき、白文字にしました。未読の方が先に知ると台無しです。

女の宿(1962.10)
大阪に用事で来て知人の家に泊めてもらった、その隣家の女主人(元舞子)の話。自分がされていたことを自分の家の女中にもするその負の連鎖が悲しい。
かげ(1962.10)
小さな料亭で働いている良枝が縁談を断った理由は。[弟のこと]、それだけだと言い切ってしまうと何か違うような気もする。「女」が美しくなっていくところもはっとさせられた。最後のシーンは幸せになれる前兆かな。
(1962.5)
[母を亡くして]泣き続ける娘(幾代・まだ二十歳にもならない)の話。業突張りの旅館の主人夫婦に怒りがこみ上げる。若い世間知らずの娘はこんなもんだなあという気持ちと。ああ、もう、歯がゆい、可哀想!
秋のうた(1961.10)
二十五年ぶりに知人の妹がアメリカから帰ってきた、その夫婦の顛末。何故これで別れないんだろうな。これは現代のそのへんにも転がっていそうな話でもある。
海の旅情(1961.7)
長崎県五島列島に「私」が訪れる話。紀行エッセイ的な話。田舎の女性の身の振り方はこの時代だからさぞ窮屈であったろう。「美人」が4人出てくるけど最後のひとはどこか儚くて幻のようだ。
狭い庭(1956.6)
庭の苗木を売りに来るちょっと変わった植木屋との話。こういうさびしいような、悲しいような微妙な気持ち、わかる……。「誇り」と書いてあって、そういうことなんだろうか、とちょっと立ち止まるおもい。
壺坂(1960.1)
女4人連れで小旅行として壺坂寺に泊まり(奈良観光をするはじまりの)話。「伝手がないと泊めてくれない」とあるが、いつまであったのか、いまもあるのかなあ。紀行文ぽい。
泥人形(1960.11)
少し足りない娘・敏子が家族に都合の良いようにつかわれる一生。実母・実兄・姪それぞれが手前勝手で腹立たしくも悲しい話。
色のない画(1961.3)
知人の遺作の絵画を鴬谷の博物館(東京国立博物館か)に見に行く話。随筆っぽい。ひとの名前をYさん、Iさん、Kさんとローマ字表記にしてあるのがなんだか浮いて読みにくい。モデル実話なのかな。
人形と笛(1955.8)
人形や人面などが苦手な「私」がこけし人形を見に東北の温泉場としても名が通っているN(鳴子か?)に行って、実際に作っているさまを見て思いがけず惹かれる話。紀行文のように読める。
祝辞(1956.9)
友人の息子の結婚式である男がスピーチをして、それは予定外の話だったが、思いもよらず受けた、という話。共産党運動が非合法だった時代の話。奥さんが水着を買うお金が無いから小麦粉の袋を藍で染めて急ごしらえの水着とするエピソードがすごい。
ある夜の客(1958.10)
嫌な客が嫌な話をして最後に当てつけのようなセリフを云う嫌な話。植民地の日本人技師長のみっともなさは最低でやめてくれえという感じだが、最後の台詞、これどういうこと?本当に[一緒にいたの]?
幸福(1963.1)
38歳、既婚、三人の子持ちの男の来し方。今の感覚ではかなり異様な。とりあえずこの主人公、わたしは嫌いだ。これで「幸福」だと思っている主人公、母より祖母や伯母を信じている主人公がことさら「頼りなさ」を強調して描かれているのはつまり、著者の真意は那辺にあるか。
著者から読者へ 共有を求めて(1990.5)
講談社文芸文庫化に際しての一文