2017/03/04

転がる香港に苔は生えない

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)
文藝春秋 (2015-07-17)
売り上げランキング: 39,959
kindle版
■星野博美
1997年7月1日、香港返還。その日を自分の目で、肌で感じたくて、私はこの街にやってきた。故郷に妻子を残した密航者、夢破れてカナダから戻ってきたエリート。それでも人々は転がり続ける。「ここは最低だ。でも俺にはここが似合ってる」。ゆるぎない視線で香港を見据えた2年間の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
文春文庫ホームページより。

本書は2000年4月情報センター出版局から単行本上梓、2006年10月文春文庫化、の電子書籍版である。
やっと、読んだ、という感じだ。
この本の存在をいつ知ったかははっきりしないのだけど、星野博美という作家の名前イコールわたしにとってはこの本の著者であった。近著がAmazonのオススメなどで上がってきて興味がわいても、「星野博美の本を読むならまず『転がる香港…』を読まなきゃ始まらない」という認識だった。
読むのが遅れたのは、まず「香港」に対して興味があんまり無い、ということがひとつ、それに対して本書が結構重量級であること(kindle版で総ページ数が7480ある)、絶対ガチの本気のルポだっていうこと。
気軽に手を出し難かった。
2015年7月に電子書籍版が出たときもチェックして、サンプル(冒頭の試し読みが出来る)をダウンロードして読んでみたけどやっぱり「長い」からよほど「気合い」が入らないとおいそれと購入できなかった。

このたび「読みたい」欲求がフルになって満を持して読んでみたんだけど、まーこれが……、
めちゃくちゃ面白い!(>遅いわ!)
難しいことや政治的なことはほぼ出て来なくて、星野さんの等身大の目で見て鼻で嗅いで手で触って歩いて感じた香港の、生活と日々の記録。
昼休みと通勤のときと家で空いた時間があれば読んで足かけ5日かかったけど、なんていうか、「充実」した読書体験というか。みっちり肉が詰まっている、どこを読んでも「実感」で埋まっていて、流して書いた箇所がちっとも無いというか。
ラストの〆のパートは流石に「まとめ」の文章になっていたけど、そこで初めて「ああ、頭の回線が切り替わったな」ってしみじみ感じるくらい、フルパワーで香港と格闘している「実態」が書かれていた。

星野さんは1966年生まれ。1986年8月に中文大学の交換留学生として香港にやってきた。当時20歳。そして10年後の1996年8月、再び香港に戻って来た。30歳。それは1997年7月1日の中国への返還を見届けるために。
だからこのルポも当然そこで終わるんだろうと思って読んでいたのだが、その後も1年以上、香港に居続ける(正確にはビザの関係で細かく出入国を繰り返すのだが)。本人も最初はそのつもりだったらしいが、【いつ頃心変わりしたのかは覚えていない。ただ返還が終わった時点で、あと一年ぐらいはいるのではないか、と漠然と思っていた。
別に香港で「安定」していたわけではない。安くて狭くて汚い部屋を借りているから「旅行者」ではなくて「住んでいる」感じではあったが、これは本文で後でも出てくるが、所詮は「一時的な滞在」という気持ちなのはわかった。だから読んでいて正直「え?帰んないの?」って思ったけど、同時に「そうか、まだ香港とオトシマエつけてないから帰れないのか」とも思った。

香港に行ったことは無いし、「百万ドルの夜景とか? 買い物したり、飲茶したり。中国だけど、イギリスの植民地だったから、中国本土とは違う文化があるのかな」なあんて曖昧なイメージしか無かった。書いてて自分で情けなくなるけど。
本書で出てくる香港は、そのイメージと全然違った。
もちろんここに書かれている香港は1996年~1998年くらいの香港だ。今から20年も前だ。
っていうか、たぶん、星野さんの当時の経済状態と、住んだ地域とかのせいもあるんだろうけど。深水埗という街で、日本で言うと秋葉原が近い……のかなあ、それのもっとごちゃごちゃした質の悪い感じ、だと思う。

香港はとにかく住宅事情が酷くて、日本じゃ考えられないようなことがいっぱい書いてあって、読みながら「無理だ」と何回思ったか。
星野さんの住んだ部屋には洗濯機が無い。クリーニング屋やコインランドリーなんて単語すら出てこなかった。じゃあ、どうするか。手洗いである。窓から竿伸ばしてそこに干すんである。でもそこは上から謎の汚水が振ってくるような町である。だから白い服は着れなくて、汚水で汚れても目立たない濃い黄色がおすすめ。もちろん質の良い服なんかもったいなくて着れない。

日本人が観光で行く香港や、日本人の海外駐在社員が住むような地域は、たぶんわたしのイメージの中の香港に近いんだろう。
たまに星野さんが日本人の知人と会うためや、そういう場所でしか売っていない質の良い食べ物などを買いに出かけると、着ている服装がアイロンもかかっていない安物のシャツだったりするので周囲から完全に浮いて、白い目で見られる。そういうことが書いてあった。
日本でも、「ワンマイル服」とか言うけど。近所のスーパーに買い物に行く格好で電車に乗ったり百貨店には行けないとかそういう感じ。でも日本では近所のスーパーでも質の良いものも売ってる。香港はそうじゃないらしい。

一時的な滞在者ではあるけれど、星野さんは地元の人たち(学生時代の縁だったり、住んでる近所のお店のひととか、芋づる式に知り会ったひととか)とどんどん友人になっていって、そこに住むひとたちの思いや考えていることを追っていく。
目次の次に【人物紹介】というのがあって、22人の主な登場人物の紹介がされているけど、それ以外にも本書には実に多くのひとが出てくる。
特にキイというか、強い印象を持ったのは、阿琳(九龍城塞で出会ったまんじゅう職人・35歳)、阿強(中文大学の同級生・34歳)、子俊(近所のカフェ新金豪茶餐庁のウェイター・「美少年」21歳)の3人。
阿強の屈折した感情や物言いには腹を立てたりもしたけれど、このひとの人生は「当時の」「香港だから」、そしてその負の感情が生々しく出てくるところがやはり忘れ難い。
子俊は博美のアイドルというか、これほとんど「恋」だよね…9歳も年下だから個人的にはちょっと共感できないけど。でも彼の素直さや明るさは本書を読んでいて一服の清涼剤のようだった。
阿琳は、著者が香港に来た原点みたいなひとだから。そしてこの本の主筋でもある。彼はどういう風に生きて、いなくなってしまったのか。

香港では家族や友人との人間付き合いが濃厚で、「誰それの紹介」「誰それの知りあい」というのが強力なコネになる。それは、買い物ひとつとってもそう。衛生観念はとてつもなく低そう。食べ物は新鮮を重視され、香港人は冷凍の鶏なんか誰も見向きもしない。既婚者になってはじめて一人前、大人扱いされ、独身だと非常に片身が狭い。外国のパスポートを手に入れるのがすごいステイタス。香港人は大陸人を見下している。香港人は日本の流行には敏感だが、日本が好きなわけではない。香港人のつきあいはまず経済状態をつまびらかにすることから始まる。奢り奢られることで人間関係が深まっていく。etc,etc…。

20年前の香港の情報なので、いまそれを知ったからって何の役にも立たないのかも知れないのだが、そんなことはさておき、目の前に次々に出てくる「知らなかった香港」にわあわあ・どきどき・わくわく・時にぞわぞわしながらページを繰る手を止められない、面白さだった。

外国に住んで、地元の人の懐まで入り込んで、濃厚なルポを書く……というとイタリアの内田洋子もそうなんだけど、住んでいる国も、経済状態も、いろんなことがまったく違って、まったく違うのだった。もう、それは、見事なくらい、全然、違う。
星野さんの他の著作も是非読まねば。
このひとの書くもっといろんなことが知りたい。

目次
一九九六年八月一九日、香港時間午後一時四〇分
第1章 香港再訪
彼に何があったか、何もきいていないのね/旧友との再会/中文大学の同窓会/人民公社は修道院に似ています/移民したい女 他
第2章 深水埗
奇妙な住所/唐楼の窓から見えるもの/眠らない街・鴨寮街/清貧の挫折/四つの名前を持つ女 他
第3章 返還前夜
消えゆく植民地は金になる/香港人はなぜ住所を隠すのか/移民の街の「新移民」/誰かの気配/君と教養に満ちた会話ができないのは本当に残念だ 他
第4章 返還
俺は家族と一緒に暮らしたいだけなんだ/そして彼はいなくなった/植民地最後の夜/七月一日の夜明け/あなたはどうやって返還を迎えましたか 他
第5章 逆転
金の話/あっけらかんとした密輸/大陸と香港のはざまで/香港は日本を崇拝する?
第6章 それぞれの明日
鶏のない正月/裏返しの地図/偽物天国/シェリーの落ち着かない幸福/何となく民主的 他
第7章 香港の卒業試験
潮時/私の隣人/肖連との再会/君は最初、あの席に座っていた/再見香港
二〇〇〇年三月一五日、日本時間午前二時二〇分
浅い眠りの中で見る夢は