2017/02/01

春にして君を離れ

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
売り上げランキング: 6,190
kindle版
■アガサ・クリスティ 翻訳:中村妙子
本書は1944年にメアリ・ウェストマコット名義で発表された"Absent in the Spring"の全訳の電子書籍版である。
初読み。

本書はミステリでないし、タイトルもなんだかメロドラマっぽくて、高校生~二十代のときに著者の作品を読み漁っていたときには全然関心が向かなかった。
ずっと後になって本書がミステリではないが人間心理を描くのが巧いクリスティならではの傑作という噂をネットで見て興味をひかれ、Amazonでアラスジを見てみたりはした。

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる…女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。

この概要から、わたしはこの小説は「幸せだと思っていた専業主婦が自分の結婚生活に疑問を感じる“目覚め”“精神的な自立”の話」だと勘違いの予想をしてしまい、それでまた読む気が無くなってしまったのだった。つまり「結婚という制度そのものに対する批判」小説だと誤解してしまったのだ。
ノーテンキ主婦が違う視点から自分の結婚生活を見直したら実はそうじゃなかったとクリスティの鋭い視点で書かれた「真理」を読むのは怖いなあと思って敬遠したというのもある。今回は年末年始のセールで購入した。

で、読んでみたら全然違った。
既読の方には言うまでもないことだが本書はそういう話では無い。
概要は合っているので、つまり解釈の違い。
批判しているのは「結婚」じゃなくてこの小説の主人公の【】、そしてあるいはその【優しい夫】だったのだ。

読んでいると主人公ジョーンに対してムカムカ腹が立ってきて、なんだか「この独善的おばさんが自分の過ちと家族にかけた迷惑に気付いて反省するといいけど48歳にもなってたらまー無理かー」と思いながら読んでいた。そしたら終盤なんと本人が「真実」を悟って苦しみ出したのでびっくりした。それで最後のほうで運命の分かれ道の台詞を二択で迷うシーンがあって、そこでジョーンが選んだ発言に「あー」と思った。なんという説得力、でもなんというクリスティの恐ろしいまでの冷静な目。

とか思っていたら本当の最後のところで夫ロドニーのほうからの視点が描かれて、ラストの彼の言葉に愕然とした。
ひええええ。怖い、怖すぎる!
そうなんだよ、ジョーンも自己中だけどこの夫だって最初から大人だったわけだから自分で決めて行動できるのになんのかんので妻の言いなりだったわけで、だけど責任が妻だけにあるようにずっと周囲をだまして生きてきたわけだよね。

「若く見える」というのは日本では褒め言葉だが、海外では違うのかどうだか知らないが、少なくとも本書でロドニーが最後に思うそのことは完全に軽蔑した、見下げている意味で使われている。
きゃークリスティってばやっぱあなた怖ろしすぎるほど怜悧ね!
おまえらほんとお似合いの似た者夫婦だよ!(捨て台詞)。

子どもたちにとったら災難だよなあ、子どもは親を選べないから。
表面的にだけ見たら「失敗」はしてないんだよね。
だいたい、結婚してて、子どももいて、という状態で家系的にずっと弁護士で伯父さんも後押ししてくれてる弁護士の夫が突然なんの保障も経験も無い農業をやりたいと言い出して賛成できる専業主婦の妻ってどれだけいるのか。
まだ若い長女が20歳も年上の既婚者と不倫してて駆け落ちするって言われたら反対するのもわかるし、次女が連れてくる友人や彼氏が派手だったり信用できないタイプだったら小言を挟みたくなるのもわかる。
そう、怖いのは、主人公がやってきたことの多くが「まあ、その気持ちはわかる、当然だ」と思えてしまうこと。
他人事だったら「子どもたちの自由・自立性を尊重すべき」って簡単に言えるけど我が子となると…。で、それが「子どもの為」じゃなくて「あなた自身の為でしょう」って断じられたら、確かにそうかもしれないけど、辛いものもあるわな。
限度とか、線引きのレベルの微妙な違い、ふだんからの愛情の与え方とかいろんな要素があるんだろうけど。
料理人とかを褒めないのは現代の感覚だと「下手な雇い主だなあ」って思ったけど1944年の話だから当時の常識はわからない。
ネットで感想をちょこちょこ拾い読みすると「自分は母親として同じことをしてしまっていないか」と自問しているひとが多く、非常に共感した。

すごく面白かったし、読みおわってからもいろんなことを考えられる、素晴らしい傑作だ。
これが1944年に出版されているという、現代でも全然古くない、普遍ってこういうことか。……クリスティってやっぱ超天才、大好き。