2017/01/25

結婚式のメンバー

結婚式のメンバー (新潮文庫)
カーソン マッカラーズ
新潮社 (2016-03-27)
売り上げランキング: 68,710
■カーソン・マッカラーズ 翻訳:村上春樹
本書はCarson McCullers(1917.2.19-1967.9.29)により1946年に発表された自伝的長篇小説"The Member of the Wedding"の村上春樹による新訳である。

旧訳は1958年竹内道之助(三笠書房)、1972年渥美昭夫(中央公論社)、1990年加島祥造(福武文庫『夏の黄昏』)と3つもあって、今回の村上版で4つめ。

去年2016年に新潮文庫で村上さんと柴田先生が組んで≪村上柴田翻訳堂≫という企画をはじめられたらしいのだが(つい最近までノーチェックだった…)その第一弾、ということで2016年3月末に刊行されていたらしい。
タイトルにはあんまり引かれなかったけど、文庫裏の概要にちらりと目をやったら12歳の少女の多感な感じが書かれているようで、面白そう。「結婚式のメンバー」というと結婚する当事者とかその家族の話を連想しそうだが、概要によるとどうもそういう話じゃないらしい、ので読む気になった。

3つの章にわかれている。全部12歳の少女、フランキーのちょっとどうかと思うくらい自意識と夢想で成り立っている小説で、なんだかとってもクレイジー。だけど何故か心にすーっと入ってくる感じがして、「これは良い小説だな」としみじみ感じ入った。再読、再々読していきたい小説だ。
章によって彼女の呼び方(これは彼女自身の意識)が変わるのだけど、そのことは「翻訳者あとがき」を読むと成程なあという感じ。彼女の正式なフルネームは、フランシス・ジャスミン・アダムスというのだけど、みんなに「フランキー」と呼ばれるのが嫌で、「F・ジャスミン」って呼ばれたいのだとか。
第1章はフランキー。
第2章はF・ジャスミン。
第3章はフランシス。

3章に分かれていて呼び名まで変わっているけど時間的には驚くほど動いていない。
フランキー12歳の夏、兄が結婚する。それを知ってから結婚式が済んで後日譚までの話で、メインは第1章が結婚式の前々日、第2章が結婚式の前日、第3章が結婚式の日といった具合。

初読みはせめて二十代前半までに読んでおきたかったという気もするが。でもいま読んでも十分フランキーの心の動きには沿えるし、周囲の大人(黒人のベレニス)の視点にも立てるからまあいいか。

アラスジにするとほとんど何も起こらない。
主人公の思春期の少女の思考は暴走しまくるし、実際の言動でもかなり危うい(もうちょっとで犯罪被害者になるところだったりひょっとしたら加害者になったのか?)けど所詮ひとりの年端のいかない女の子のやることだ。
そのまま淡々と妄想だけの嵐で終わっていくものと思っていたから、最後のほうでまとめに入りつついろいろ結構人生的に大きなことが起こったりしたからちょっと驚いた。でもこういうふうに書かれているのは物語的にもすごくバランス的に正しい(実際に起こったことだったとしても、「そのこと」をメインに書いた小説ではないから、後ろに寄せて書くことで、この小説のテーマが揺るがない)。

自分が12歳の時はもうちょっと落ち着いていたような気がするが、…どうだろう。
フランキーは兄が結婚すると知ってショックを受けておかしくなるんだけど、まあその前から結構突飛なことをする子だったようだけど、でもその気持ちはわかる。フランキーがもっと幼くて8歳(-4)だったら、あるいは16歳(+4)だったら、また全然別の反応を引き起こしたんだろう。
「わたし(フランキー)」は兄と兄の花嫁(あなたたち)で「わたしたち」であるという考えに取りつかれ、彼らは新婚旅行にフランキーを伴うであろう、と思い込む。それが「何故」かは論理的には説明出来ないが、感情的な面ではわからないではない。「わたし」が世界の中心である思春期の少女だから「わたしたち」も特別でなければならないのだ。理屈じゃないのだ。
まるでフランキーの乳母のような存在のベレニスは「嫉妬」だと言う。兄とずっと同居していたわけではないのにそれでもか、とも思うし、母親がフランキーの出産で亡くなっていてずっと父親がやもめ暮らしなことも影響しているのかもしれない、とも思う。

こういう話は途中で退屈になるかなという危惧もあったんだけど、フランキーの思考の世界が予想以上に違和感なくて、彼女の望むようにはならないことは見えているんだけど、でも「どうなるのかなあ」という気持ちもあって、退屈しなかった。
実際がどうこうというよりはフランキーの気持ちの整理のつけかたに興味があった。
劇的な成長があったりするわけじゃなくて、生きていくといろんなことが起こっていく、それは時に思いもよらない残酷さもはらんでいて、彼女の思惑を越えた次元で世界は動いていく。
淡々と語られていくその「日常」の描き方は実に見事だった。