2016/11/07

白いおうむの森

童話集 白いおうむの森 (ちくま文庫)
筑摩書房 (2013-09-27)
売り上げランキング: 3
kindle版
■安房直子
昨日のkindle日替わりセールで上がってきて「おお、懐かしいな」と購入。
以前に読んだのは高校生くらいだっけかなあ、地元の小さな書店で、ピンクの講談社文庫で。タイトルに「花束」とついていたように思うのだが、さっきからネットで随分検索したけれどそのような本の画像は見つけられなくて、もしかしたら立原えりかの童話集と記憶違いの可能性があるんじゃ……と思えてきた。
てことは、初?
このひとのお名前を初めてみたとき以来ずっと「安部公房を連想させるなあ」と思っていたのだけれど、このたびあらためて検索してみて当たり前だけど関係はないのであった。
さっきからどうでもいい独り言みたいなことばっかり書いていて、すみません。

【目次】順に感想を。
内容・ストーリーに触れていますので、白紙で読みたい方はスルーしてください。

雪窓
タイトルがきれい。屋台のおでん屋さんの名前なのです。お客さんとしてやってきたたぬきさんがあまりにもおでんに関心を示すのでお手伝いとして雇って毎日仕事終わりにいっぱいやるのとかほのぼの~。と思っていたら幼い頃死んだ娘が成長したらかくや、と思われる16歳の娘さんがやってきて……店主がものすごい思い込みの強さを示すのがなんだか読んでいて意味不明で痛々しくて苦々しかったんだけど、この後の話とか読んでいくうちにだんだん思い出してきたんだけどそう、童話ってこういう「理屈では説明できないけど、でも絶対そうなの!」という思考回路が頻出する世界だったなあ。

白いおうむの森
おそらく十歳になるかならないかの少女みずえが主人公。宝石店の中の大きなゴムの記に白いおうむがとまっていて、「こんにちはー」しか言わないんだけど、みずえは幼いころに亡くなったという自分のお姉さんの名前を憶えさせようと毎日通っておうむに話しかけている。この設定時点で「えー?」と思ったけど、この店の店主がインド人で、そしてあるときおうむがいなくなって、店主からみずえが飼っているミーという猫が食べたんだろうとか決めつけてくるのとかもう「えええええー?」って感じだった。いやいやいやいや、仮に猫が食べたとしてもですよ? 町の中に猫なんか何匹でもいるでしょう。意味がわかんない。でもそういわれて「そういえば最近ミーは元気がなかった」とか結構あっさり信じるみずえとかもう童話世界ルールすごいですね。さらにミーまでいなくなって、みずえはすぐにインド人が復讐のためにさらったのだと悟る(=根拠のない思い込みですとも、ええ)のです。そして店に行ったらゴムの木の陰に地下に降りていく階段とか出来てて、そこを降りていくとさらにすごい世界に通じているのです。もうここまでくるとツッコむのは忘れて「童話すげー!」とひたるしかありません。最後の展開はちょっとびっくりしました。子どもたちはこのやり場のない思いをどう消化させるのでしょう。

鶴の家
この話の展開はまったく予想外でした。
てっきり復讐だと思ってずっと読んでいったので、最後まで疑いながら読んでいったので、最後「おおおおお」と思った。
青いお皿。最初小さいお皿みたいに受け取れる書き方をされていたので、途中で「大皿」って出てきたのでびっくりした。ああでもいま読み返したら長吉さんはちゃんと【両手で受け取って】いるなあ。そっかそっかー。大きい青い皿に丹頂鶴。想像するだに、美しい。丹頂さんは、怒ってなかったのかな。どうだったのかな。どういう気持ちで、お皿をくれたのかなあ。

野ばらの帽子
ちょっと怖いお話。でも最後に救いがあって良かった。いまどきは、知らない十代前半の女の子に大学生が道で声をかけたら「声掛け事例」で通報されたりするんだぜ。道もきけないんだぜ。世知辛い世の中だけど、実際怖い事件がいっぱいあるから仕方ないんだぜ。
でもこの鹿のおかあさん、それこそ牧歌的な時代とはいえ、よく知らない大学生の男に自分の娘の家庭教師をやれとか言えますね。とか思って読んでいたら、鹿のほうがよっぽどウワテで怖い存在なのだった。復讐て。そんなざっくりした理由で手当たり次第に。まあ同じ「人間」というくくりですからやむを得ないのかね。

てまり
この話はよくあるお姫さまのわがままからはじまり、童話によくあるお姫さまと貧しい者の友情かと思って読んでいて、最後のところで「おおおおお」と思わされた。なあんてリアリストなんでしょう。
それにしても「はしか」。ついこの夏、久しぶりに関西では「はしか」が流行しているということでニュースになっていましたので、ちょっと面白く思いました。昔は子どもがあたり前にかかる病気だったんですよね。

長い灰色のスカート
これは怖くてすごく悲しい話。なのにとても美しく幻想的に、妖しく、引き込まれるように描いてある。絵を思いうかべるとぞっとしつつも主人公の少女がどんどん中に入っていくのを止めたい、やめなさいという思いと幼い弟を隠してしまったモノへの怒りが込み上げてくる。灰色の長い長いスカートの襞。怖い。最後のところを読んで、必死に探し回ってやっと姉だけは生きて見つけたお父さんの気持ちとかを忖度して、とても悲しくやりきれない思いがした。

野の音
泰山木の花ってとっても綺麗ですよね。大きくて、豪華で。うっとり。でもこのお話を読んでしまったからには、また全然違う目で泰山木の木を(もしそれが大きい木であればあるほど)見上げてしまうかも、という気がしました。最初のところで女の子が消えてしまうくだりで店主のおばあさんが全然我関せずっていうふりをしていたので「あれ?このおばあさんの仕業じゃないのかな」と思ったけど、どんどんわかっていくとなんであんなふうな静かな書き方だったのかなあと思う。いま、そこのところを読み返してみたけど、うーん、なるほど、うーん。そうか、このひとにとっては別に当たり前のことだから、かな…。作業が滞りなく進んだ、それだけのことということか。怖いねー。
助けに来たお兄さんが最後ああいうことになって、でも読後感は何故だか「ハッピーエンド」なのだった、おかしいかな? そもそもこのお兄さんの望みはなんだったんだろうとか、まあ、これが童話じゃなくて、そしてこういう世界での出来事じゃなかったら絶対絶望的なラストの筈なんだけど。泰山木の魔法にかけられちゃったのかしら。


お話たちは、どれも「昔話」のような懐かしい雰囲気を持っていて、でも実際はどれもそんなに昔の話ではない。
アンゴラの手袋が忘れ物だったり、バスが走っていたり、自動ドアが開いたり、ランプの光に照らしたり、マーケットにお母さんと行ったり、ストーブとカーテンとミシンがあったりする。そういうのが出てこないのは「てまり」だけで、これは他の話より少し時代設定が昔というふうに読める。

本書は1973年11月筑摩書房より刊行され、1986年8月にちくま文庫に収録された。とある。電子化にあたり、解説と画像は割愛したともある。
そうかー、1973年か……40年と少し前。
40年前は「昔話」かも知れないな。作者がどういう時代設定で描いたかわかんないけど……。