2016/09/22

小説の家

小説の家
小説の家
posted with amazlet at 16.09.21
柴崎 友香 岡田 利規 山崎 ナオコーラ 最果 タヒ 長嶋 有 青木 淳悟 耕 治人 阿部 和重 いしい しんじ 古川 日出男 円城 塔 栗原 裕一郎
新潮社
売り上げランキング: 88,372
■福永信・編
というわけで「読了」。
何故「 」付きかというと、全篇完読ではないから。
「まあ読了ということにしておきましょうかとりあえず今の時点では」というのが正確なところ。
アンソロジーにはたまにあることだ(私的には)。
理由は合わなかったり今の自分には難し過ぎたりする作品も収録されていることがあるから。
まったく手を付けないというのはしないけど、数ページでダウンしてしまう場合が……でもそのとき読めなくても数年後に読むこともあるので、まあ……言い訳だけど。
で、全部読んでいないことを前提に、なのだけど、全体的な印象では「純粋に【小説】としては超A級もA級も無いかなあ」という感じがしないでもない、まあこれは美術・芸術とのコラボとかそういう【企画】込みだっていうのもあるのかな…。

内容と簡単な感想など。★はイイネ! 数字は初出掲載号

鳥と進化/声を聞く柴崎友香   2011.9
2つの話みたいなタイトルだけど1つの短篇。
出だしが「こんにちは。」で始まっていて、すごく唐突で、1行あいて普通に小説が始まっていて、面白い。
内容もカラスや鳩の鳴き声を活字にして鳥のことをぐるぐる考えている「わたし」の日常をいつものテイストで淡々と書いてあって、引き込まれる。
これは「美術手帖」掲載時には田中和人という方の写真が使われていたらしいのだが単行本では上條淳士という方のモノクロイラストになっている。
話と合っているか、好みの絵かといわれたら、そうでもなかった。

女優の魂:岡田利規  2012.2
殺された女優(舞台女優系)が生きていた時の事とかを死んであの世?で会った美大卒の絵描き崩れの青年(自殺)と話していて、その設定は面白いと思ったが青年のぐだぐだ「何かになりたかったけど何者にもなれなかった」系の耳タコ愚痴を長々延々と聞かされてちょっとうんざりしていたら突然話が終わってすごくびっくりした。
挿し絵?というよりもこれを舞台化した実際の舞台女優さん(佐々木幸子)が演じているところのカラー写真(高橋宗正)数点。

あたしはヤクザになりたい:山崎ナオコーラ   2010.8
これは挿し絵もナオコーラさんご自身によるものだ。
なんだか「報酬」つまりお金にこだわっている主人公が出てきて、変なひとだけどこれで成功して……っていうかこの路線でまあそこそこ平和に暮らしていく系の話だろうかと思っていたので最後の2行で唖然とさせられた。まじっすかナオコーラさん。凄い男前ですね!

きみはPOP:最果タヒ  2014.4
気になる作者(名前の読み方がまずわからないけど一回見たら忘れられない)。
これで「さいはて・たひ」さんとお読みするのだね。ウィキペディアによるとこのペンネームには特に意味はないそうだが…インパクト強いし、雰囲気素敵だし、忘れ難いし、良いお名前だと思う!
作品は、ミュージシャンの女の人の話で、曲の音楽とか歌詞のこととかについて結構青臭いというか若いというかモラトリアムというか、そういう議論めいたことがうだうだ書いてあって、文章をCDのところやビルの看板のところとかにも書いてあって、内容とリンクしていて面白がりながら読んだ。ちょっと「女優の魂」の青年の云うことと似た世界観なのかなあ。十代二十代の頃はみんなこんなことを延々喋って、アウトプットしていかないとモヤモヤが遣り切れないっていうか…こういう距離間でしか読めなくなっているっていうのは年を取ったってことかなあとか思いながら読んだ。最後まで読んで「あれそんな陳腐な恋愛小説にしちゃうの?」とやや興醒め。
写真・森山智彦、アートディレクター・佐山太一、デザイン・Three&Co

フキンシンちゃん「帰ってきたフキンシンちゃん」の巻:長嶋有   2014.8
云うまでも無くこれは漫画なのだけど、タイトルのところに<小説>と書いてある。福永信さんがあとで書かれている長嶋さんの言葉によれば先生にとって「小説」と「漫画」の違いはあんまり無いってことかな。とにかく何をおいても「フキンシンちゃんが死んでなくて元気で良かった!!」に尽きる。だってあの単行本の結末じゃまるで天国…。
そしてフキンシンちゃんの挙げた「最近の出来事」セレクトに笑った。流石です。
作画(といっていいのかな?)にはダイナマイトプロという方の協力。

言葉がチャーチル:青木淳悟  2013.11
数行しか読んでいないので評価外です。すみません読み手の気力がありません。
学習漫画みたいな挿し絵と紙とレイアウトを見ているだけでも面白いのですが。歴史なのかな?歴史小説なのかな?読めばわかるんでしょうが…。
イラスト:師岡とおる

案内状:耕治人  1958.7
この作品だけ昔の<小説>企画からの掲載。1958年元号でいうと昭和33年。わお。
挿し絵だけ現代の漫画家さん(福満しげゆき)が描いている。文章だけ読んだ感じと、挿し絵を込みで感じるこの作品の雰囲気が随分違って、なんだか面白い。つまりえーと、挿し絵込みだとなんだか文章の持っている重さが軽くポップに見えるというか。内容は駄目人間の話なのだけど(ざっくりぶった斬り過ぎたか)、昭和の第三の新人あたりの作品と思って読むと変に真面目に、眉根を寄せて「芸術家におけるモデルというものの存在意義は…」「画家にとっての生活とは…」とか考えて読んだりもしそうなところを、挿し絵でなんだか梯子を外される、みたいな? 違うか。がくっと肩の力が抜けるのだ。
挿し絵って影響大きいのだなあ(超今更)。

THIEVES IN THE TEMPLE:阿部和重  2012.8
白い紙に白いインクで印刷してある問題作というか話題作というか。
阿部和重の作風は完全に守備範囲外なのでいきなり単行本購入よりもこういうアンソロジーでお試しというのは良い機会だと思ったのだけど…。
ライトや光の反射を利用して3ページ読みましたが続きを読みたい欲求<読み難さ だったのでここで投了。すみませんこれも読み手の問題です。

ろば奴:いしいしんじ  2010.12
7ページほど読んで投了(以下同文)。
「美術手帖」掲載時はプロの写真とのコラボだったようだが単行本ではまだ1歳にならない御息女(いしいひとひ)の描いた絵(幼児の絵だ)が使われている。
いしいさんの小説はむかーしにいくつか読んだのであの当時のわたしなら最後まで読んでいたと思う。

図説東方恐怖譚/その屋敷を覆う、覆す、覆う:古川日出男  2011.4/2012.4
これは別の話が2つ…なのか2つで1つなのか…いちおう全部読んだけど難し過ぎてよくわからなかった。あ、掲載年が丸1年開いてるなあ。
前衛的の一言で済ますのもどうかと思う。右側が絵と描き文字(これも2種類)あって左側に活字の文章があって全部絡んでいるんだろうけどそこの意図もきちんと理解できたとはとても言えない。なんとなく面白そうなことをやってるな、という雰囲気があって、好きな感じではあるので最後まで読めた。「その屋敷を覆う、覆す、覆う」はページ自体が本体よりも8割くらいの大きさになっていて、それも含めての「作品」なんでしょう。でもどうしてかはわからなくてもいい、のかな。楽しんで読めれば。絵・近藤啓介

手帖から発見された手記:円城塔   2010.4
これは掲載誌が「美術手帖」だから円城さんのご挨拶的な作品でもあるんでしょう。円城さんらしく、「手帖」といってもそれについて書いてあるのだけれどとても一般的に認識されているあのメモ取ったりなんだりの手帖とは全然違う、果たしてこれはなんなのか、わかるようでわからない不確かな感じ。絵で文章がつぶれて読めない系の作品かと思いきやきちんとつぶれた分は次におくって読めるようにしてある、これ絵と文章とどういうふうに作業したんだろう。まず文章書いて、絵をもらってレイアウト決めて、そこからまた字を足す作業をした、のかな。円城さんの小説は理解出来なくても楽しめればいいと開き直っていて、この話は円城さんの中ではそんなに難しくなかったので「何が言いたいのかなーこうかな、そうかな」と想像しながら読んだ。
イラスト・倉田タカシ

初出と紹介
文章執筆者とイラスト・写真・デザイン者について。
文章執筆者についての略歴は「謝辞」の前に別にあるので、ここではそれ以外の方の略歴をごく簡単に書いてある。
ここの初出掲載によって単行本の掲載順と雑誌の掲載順は違うことが確認できる。

〈小説〉企画とは何だったのか:栗原裕一郎  2012.12
今回の企画本を説明するために、元祖<小説>企画についてかなり詳しく紹介、執筆者や作品について触れてある。解説というか。

文章執筆者略歴
小説やエッセイの紹介ではなく、参加アンソロジーを紹介しているところが変わっている。好きなアンソロジーの記載が面白い。円城さん、好きなアンソロジー集は『新古今和歌集』って……わはっ、あれってアンソロジー集か、そう云われればそうか! あはは、凄いねー。
次の見開きページでみなさんの写真(日常スナップ)がモノクロだけど紹介されているのも楽しい。いしいしんじさん、これはどう見ても…手作り帽子ですよね、娘さんとコラボ。これで町中歩かれるんでしょうか…すごいな…。

謝辞とあとがき:福永信 
「謝辞」は明らかに遊んでいて、一見真面目で、実際大真面目なんだろうけど、文章上はなんでもかんでもに「感謝」しまくっていて、実際に感謝しまくっているんだろうけど、だんだんエスカレートしていって、これはこれでひとつのパロディみたいな、「作品」としても楽しめる。活字が小さくてこんな長い謝辞は珍しかろう。
「あとがき」はふつうのあとがきだった。

装丁は名久井直子、謝辞によれば最初は「美術手帖」の出版元から本を出すつもりがそこがつぶれてしまったために新潮社で出すことになって、新潮社装幀室も一緒に仕事をしたらしい。
中身がこんなに遊んでいて冒険しているのにぱっと見の装画とか本の佇まいがすんごくシンプルで、もっと攻めたほうが売れたんじゃないかなとかこの表紙で葉引きが弱いんじゃないかなとかでも中身にお金がかかるから表紙まであんまりコスト掛けられないのかなとかすみません完全に素人の感想なのだけど。
実際のところ、どうなんでしょうか。