2016/05/08

向田理髪店

向田理髪店
向田理髪店
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奥田 英朗
光文社
売り上げランキング: 632
■奥田英朗
これはkindle版も出ているけれど紙の本で持っていたかったので単行本で購入して読んだ。
奥田英朗の小説には犯罪を描いたものもあるけれど、家族や人間同士のつながりやあたたかい感情の交流を描いた作品群もあって、こちらはそれに該当する。
過疎化が進む田舎の村の理髪店が主な舞台の小説という設定を聞いただけで「好きな設定だ。ごはん5杯はいける」と頷いた。でも何故だろう。
田舎の理髪店の店主が主人公の小説でなにか具体的に良いのがあったっけか、と自分の記憶をたどるがぱっとは出てこない。じゃあなんでかな。そういえば山崎ナオコーラ『カツラ美容室別室』も読む前に設定だけで萌えて、実際に読んだらちょっと思ってたのとは違った、という記憶がある。
小説に出てくる理髪店店主で好き、となると――そうか、漱石だ。『草枕』だ。主人公が那古井の床屋で髭をあたってもらう床屋の亭主がイナセでちゃきちゃきの江戸っ子でユーモラスでしみじみとしたおかしみを感じて大好きなシーンのひとつなのである。だからかな?

この物語の舞台「苫沢町」は夕張市をモデルにしているようだ。北海道の中央部にあって、かつては炭鉱の町として栄えたが、いまは財政難により事実上破綻してしまっている。そのまんまだ。ただしこの小説にはメロンなどの特産物の話は出てこない。

短篇としても読めるだろうが、すべて苫沢町の話で、町で起こったこと、町民のことが書かれていて、主人公である向田理髪店の店主・向田康彦(53歳)の視点で書かれている長篇小説として味わいたい。というか、最初の1篇を読んだらすごく良くて、次も次もと続けて読んでしまって、あっというまだった。「奥田英朗で、こういう道具立てて、きっとハートフルなんだろう。泣かされるかもしれないけど、絶対巧いだろう。面白いに違いない」と期待を持って読んで、それを決して裏切らない、素晴らしさ。これは作家なら誰でも出来るってなもんじゃない。奥田英朗って天才だよなあ、凄いよなあ、エッセイではあんな「おっちゃん」やってるくせに本当になあ、どうなってんだよなあ、と感嘆のためいきをつくほかない。

財政破綻している町が舞台で、過疎化が進んでて、主人公の息子はいったん町から出て行ったのに就職して1年で戻ってくるし、町ではいろんな問題が出てくるし、自分たち夫婦だってこの先老いていったらどうなるか何もわからない――別に苫沢町に限らず、ひとはどんどん年を取るし、日本中が若者が減っていく一方だというのは同じだから他人事ではない。景気だってどこが良くなっているのか全然実感がわかない。

いったい奥田さんはこの小説の最後でこの町に対してどうするのかな、ハッピー・エンドになるのかな? と考えながら読んでいった。夕張市ってそういえば今どうなってんのかな?とかも考えたりした。

結論から云えば苫沢町も向田理髪店も別にどうという答えも出さないままに小説は終わるのであり、少し物足りないような気もしたが、まあそりゃそうだ、とすぐに思い直した。これは、そんな簡単に性急に状況が激変するような問題ではない。悪化もゆっくりだろうし、「解決」なんて本格ミステリー小説の事件じゃないんだから出てくるわけもない。何が正解かわからない、ひょっとしたら正解なんてないかもしれないから、ずっと問題で有り続けるのだ。

でも最後まで読み終わった時、「そうか、『小説』としてはこういうふうに締めるのか」と思って余白の白を眺めつつ、じんわりとあたたかい気持ちになれた。こういう気持ちを作ってくれたんだな、と奥田さんに謝意を感じた。
ちょっと良い風に書き過ぎだ、とか主人公が冷静で公平な性格過ぎて出来すぎだと思わないでもないが、つまり「そういうことなんだな」と。これはフィクションであり、ある種の夢と希望をくれるタイプの小説なんだから。暗い結末を書いて誰が喜ぶんだ。現状がせっぱつまっていることはみんなわかっている。そんな中でもとりあえず前を向いて、みんな助け合って、こんなに「誰かのためを思って」生きている町があるとしたらそれだけで宝だと思う。

わたしが育った町も田舎だったので町内の噂話などは子ども世代は無関心だが親世代は実によく知っている、という環境だったのでこの小説で書かれている「町中皆がお互いの生活状態を熟知している、なにかあったら数日で全員に知れ渡る」というような状況は容易に想像できる。正直良いことばかりとは思えない。むしろ息苦しさや疎ましさのほうを強く感じてしまう。この小説を読んで、そういう環境でずっと生活していって、年齢を重ねて行って、こういうふうにご近所のひとを何の迷いも無く助けられるひとというのは凄いなと尊敬の念しか湧いてこない。わたしには無理だ。どこまで踏み込んで良いのか、とかお節介じゃないかとか、プライバシーが、とかいろいろ考えすぎて身動きできない。というか、ある程度の規模の町や市になればふだん近所づきあいがまったく無いとかわりと日本中どこでもあるだろう。世代の問題なのかもしれないが。 どちらが「良い」ということでもないのだろう。どっちも良い面、悪い面併せ持っているのだろう。
何処に住むか、というのは「どういう生き方をするか」ということをある程度決められてしまうということなのかも知れない。

初出は「小説宝石
「向田理髪店」2013年4月号
「祭りのあと」2013年11月号
「中国からの花嫁」2014年7月号
「小さなスナック」2015年2月号
「赤い雪」2015年10月号
「逃亡者」2016年2月号