2016/05/05

オスカー・ワオの短く凄まじい人生

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)
ジュノ ディアス
新潮社
売り上げランキング: 133,467
■ジュノ・ディアス 翻訳:都甲幸治・久保尚美
紙の本。単行本。新潮クレスト・ブックスの1冊。
Amazonのオススメで本書訳者の方の対談集『読んで、訳して、語り合う。都甲幸治対談集』が上がってきて、対談相手に柴田(元幸)先生や岸本(佐知子)さんが入っていたので「都甲幸治(とこう・こうじ)って誰?」と思ってググったら本書が出てきて西(加奈子)さんが絶賛とか書いてあって、原書は英語とスペイン語(しかも俗語・方言)が混じっていて凄まじく訳しにくく、主人公はオタク青年でとにかく面白い小説だということなので読んでみた。こういうジャンル(近年流行のマジックリアリズム)はともすれば読んでも理解しにくかったり難解だったりすることもあるんだけどまあ久しぶりに流して読んだら読み込めないものを読んどかないと楽ばっかりしてるからなあ最近。

そういう小説だとは紹介されてあったが原注がかなり饒舌な小説で、まあしかしニコルソン・ベイカーに比べたら常識の範囲だ。
主人公はオタクだということだったが日本人が想定する典型的なオタクとはタイプが違っていてちょっと予想外(最後まで読んで「訳者あとがき」に目を通したら【日本のオタクと違うのは、二次元の女性に対する「萌え」感覚が皆無なことだ。】と書いてあり「まさに!」と膝を打った)。

最近通勤に単行本を持って行かないので家で休日にまとめて読んでしまおうと集中して臨んだ。昨日朝から読みはじめて休憩を入れつつ本日昼食後の読書で読了。
最初、この本の流れに乗れるまではどういう小説か、どこに力点を置いて読めばいいのか、見通しの利かなさに戸惑いつつ時間がかかる感じだった。第3章でオスカーとロラの母親であるベリ(イパティア・ベリシア・カブラル)の物語になったあたりからかなり慣れて読みやすくなっていった。全体の半分くらいまで読んだときに「ようやく半分か、長いなあ」と思ったが、その後、後半は加速度的に興味を引かれる展開目白押しでどんどん物語にノメり込んでいき、終盤は息を詰めるようにして「もうページがあまり残っていない、ということは、ということは」とハラハラしながら悲しみをこらえつつ。

単なる一人の青年の話ではなく、その家族の話や周辺の話も巻き込みつつ、根本的なところにあるのはドミニカの独裁政権下における非人間的な身の毛もよだつ恐ろしい環境。迷信的なことをほのめかしたりしてあるが、超常現象でも天災でもなんでもなく、ひとりの狂った権力者が国を牛耳っているときの、狂った世の中がベースにある、けどそこにまともに焦点を当てるんじゃなくて訳注でどんどこ話を盛り込みながらも主筋はあくまで「徹底的にモテない太ったオタク青年の、女性になんとか受け入れてもらおうとあがき続ける人生」というのが。
別に異性にモテなくても人生の楽しみや意義はそれだけじゃないしいろんな価値観や生き方があるよ、という「逃げ」が、少なくとも「逃げの論理」が現代日本にはある、と思うんだけど、ドミニカ系の(主人公のオスカーが住んでいるのはドミニカ共和国ではなくアメリカ)男というのはとにかく「女」がいてなんぼ、1人じゃなくて何人でも、やれるだけやってそれが普通、というような価値観らしい、少なくとも本書を読んだ限りでは。
オスカーはとにかくモテなくて、それどころか異性から嫌悪の目を向けられ同性からも馬鹿にされるような容姿で、だけどドミニカの男同様すごく女好きで惚れっぽくてきれいな女性にどんどんアタックしてフラれまくっている。

オタクと書いてあるが日本のオタクのように美少女アニメとかギャルゲーとかをするわけではないようで、というか「訳者あとがき」にあるように二次元のキャラクターに愛着を示すということはまったく無い。だから出てくる作品も「AKIRA」とかSF映画とかRPGゲームとかそんなのだ。具体的に作品名がいくつか出てくるが訳者注などから推察するにごく健全な感じで、少なくとも性的な面をそちらで誤魔化すとかいう雰囲気ではない(有名どころでは『指輪物語』『ナルニア国物語』なんてのも。SFやファンタジー、ゲームなどサブカルに詳しい方は全部わかってニヤリっとしながら読めるんだろうなあ)。オスカーの恋愛はあくまでも現実の女性に限られるのだ。現実の女性にフラれるから二次元に逃げるとかじゃなくて、SFとかアニメとかが好き、というのと現実の女性に対する欲求が全然別の事として平行してオスカーの中にはある。そうなのかあ、とちょっと意外に思った。でもモテるために趣味を止めるとか、やせるとか、そういう方面の努力はからきしなんだけどね…。自分の好きなSFとかアニメの話を好きな相手に一方的にガンガンやるのってそれってモテるとかモテない以前の問題のような気が…だいぶ変なひとだよなあ。

タイトルが「短く凄まじい人生」だし語り手(おれ)が示唆していたからこの物語の最後にオスカーは何らかの形で死んでしまうんだろうなとは思っていたけれど、こういうふうだとは思っていなかった。途中でオスカーが飛び降り自殺を図るんだけど、まあそういうふうにして「今度は成功しちまったんだよ…」というふうにして死んでしまうんだと思っていた。だからこんなにも文字通り暴力的な死、しかもそうなることは予期できたのに、逃げることは出来たのに、わざわざ自分から舞い戻ってまで、そうまでして。
正直そこまで彼をそうさせるほどの魅力が彼女にあったとは読んでいる限り到底理解出来なかったんだけど。

オスカーの事が読んでいくうちにとても好きになっていたから(人間的に、友情的に)、とても悲しかった。ばかなことを、という思い。でも、そういうひたむきな純粋なまっすぐさを最後まで失わなかったからこそオスカーの事が好きなんだとも思う。
最後の最後でオスカーが得たもの、そのことについて書かれた感想が、とても胸を打った。「素晴らしい!」の連呼で、オスカーの無邪気な喜びが伝わってきて、本当に良かったね、オスカーって思った。

まさかこういう話だったとはなあ。読みはじめた時も、真ん中ぐらい読んでる時も、全然予想していなかったよ。確かに面白かった。最後はかなり感動した。感動できるなんて全然期待していなかったのでびっくりした。
なお、翻訳の都甲幸治さんは柴田先生のゼミ出身。

ちょっとびっくりしたことは本書は第3部まであるんだけど、部ごとに章立てがリセットされないんだね。イントロがあって第一部になって第1章~第4章とあって第二部にまたそのイントロ?みたいなのがあって第5章~第6章が始まる。第三部またイントロがあって第7章、第8章は短い。とても。そして謝辞を読者はなかば呆然としながら読み進むことになるだろう。
あともうひとつちょっとびっくりしたことは、語り手の「おれ」はあくまで引っ込んだ存在なんだけどオスカーの友人でありオスカーの姉と恋愛関係になったりする、んだけど公然と浮気を繰り返したりして典型的なドミニカ男という役回りなんだろうけど「語り手」ってだいたい常識的な良いひと、という固定概念からは考えにくいキャラクターだった。まあかの国では標準型なのかねえ。