2016/02/21

イタリアからイタリアへ

イタリアからイタリアへ
イタリアからイタリアへ
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内田洋子
朝日新聞出版
売り上げランキング: 9,893
■内田洋子
初出「小説トリッパー」2014年春季号~2015年冬季号。単行本化に際し加筆修正。
装画:柳智之、装丁:田中久子
奥付の発行日は2016年2月28日としてあるが実際は2月5日刊。まあよくあることだけど、この日付のズレはなんなんでしょうね。と思ってググったら全国出版協会の[発売日]と[発行年月日]というコラムがあった。ふーん。

内田洋子の新刊。最近は単行本を通勤に持って行かなくなったからもっぱら家読みで1週間くらいかけてぼちぼち読んだ。慌てて流し読んだら勿体無い、というのもある。

内田さんの著作を読むのはまだ数冊目なのだが、自分が読んだなかでは一番「過去にさかのぼって」「過去の思い出」を書いてあるエッセイ集で、このかたがどういうふうにして「いま」に至ったかを知る端緒になったというか、好奇心の一部を埋められたというか。
当たり前だけど、内田洋子さんにも世間知らずだった学生時代があり、イタリアの南部の荒くれに戸惑って途方に暮れた若い時代があったのだなあ――という感慨にふけりつつ。度胸がよくて愛嬌もたっぷりで人付き合いスキル「なんぼほど高いねん」と惚れ惚れさせられる彼女だって、最初っからこうだったわけではないのだ。まあ、スタート地点の人間の出来が全然違う、ってことは重々承知しておりまするが。

「これは小説?」と確認したくなることすらある内田さんのエッセイにしては本書収録分はあまりドラマチックな展開は無くて、静かで地道な視線で描かれている。でも文章はとても美しくて、イタリアの風物、人物の描写はあいかわらず生き生きと眼前に広がる。読み終えて本の裏表紙をぱたんと閉じたとき、「ああ、これは歌なんだ、歌ってらっしゃるのだ」と何故か思った。別に詩的だとかそういうわけじゃないんだけど。思いつきを展開すれば、そう、これは内田洋子さんが見聞きしてきた過去から現在を書籍上で旅するオペラなのだ――、と言ったらちょっと強引かな?

【目次】から順を追って、本文から【 】内に引用しながら内田洋子の「オペラ」を紹介してみよう。

第一話 旅の始まり
【ミラノの南端に住んでいる。】という現在のミラノ中央駅の喧騒の風景から【初めて私はミラノ中央駅を見たのはいつだっただろう。】【もう三十五年以上も前になる。】と回想が始まる。
【大学を出た後、日本のマスコミへイタリアからのニュースを送る仕事を始めた私は、イタリアに事務所を開くことを決めたとき、迷わずミラノを選んだ。】
そして当時の大手フォト・エージェンシーの話。なんと写真を㎏単位でやり取りしていたというのだから隔世の感がある。【すぐさまどこかへ電話をかけて、「スポーツ五キロ、ピンク十キロ、政経四キロ、頼むよ」頷き、受話器を置くと、「仕入れ完了」とにんまり笑った。発注する写真の重量は、すなわちニュースの重要度なのだった。】

グーグルアースでミラノ中央駅を検索してみた。石造りの立派な駅だな。周りは大きなビルばかり。都会だな、としばらく周辺を見て「なんか異常にクルマが多くない?」と気付いた。それもそのはず、道という道の両端に路上駐車がびっしり続いている。「ミラノ 路上駐車」で検索するとこれはまあ、有名な話だそうだ。

第二話 迷ったまま
二十歳を越えたばかりの内田さんが初めて踏んだイタリアの地。【ナポリで卒業論文の準備をすることになり、私は代々地元に暮らす友人宅に居候した。】
ミラノの路駐もすごいようだが、このナポリでの渋滞も当時から凄かったようだ。日本で商用で「明日、午前中に会いましょう」と言われたらまあ9時とか10時とかを想定するかと思う、というかそもそも「午前中」なんていうざっくりした指定じゃなくてきちんと時間を示すのが普通だと思う。ところがここミラノでは……という。時間だけじゃなく、すべからく。
【予定などすべて未定で、不定なのである。思う通りにいかない、と声を荒立てても取り囲むカオスに紛れて届かない。】【問題がなくて当たり前の国から、問題はあって当然の国へ。】

第三話 不揃いなパスタ
【<南部イタリア問題を調べたい>】と卒論のテーマを挙げて大学から1年間の国費留学を許可された内田さん。文学にも美術にも興味がわかなかったからだったという。しかし大学でも首を傾げられ、現地でも「研究しても、何の役にも立たないでしょうに」と気の毒がられる始末。そして大学生の彼女はナポリの町で様々なカルチャーショックを受ける…。
【歩けば、不条理に当たる。他愛ないものから恐ろしいものまで、日々あらゆる場面で待ち受けている。】

第四話 暮らすと、見える
【私にとって初めての海外旅行が卒業論文のための渡航であり、その行き先がナポリと知ると、事情通たちは一様に心配し、同情した。「語学の勉強にもならないわね。正統なイタリア語なら、やっぱりフィレンツェに限るでしょ。ナポリなんて、イタリアの場末じゃないの」】
ナポリで世話になった30代の建築家のコンペを巡るエピソードやバイクの話など。「すべて相対的なんだよ」という言葉が含むさまざまな事情・感情が読後、重たくのしかかる…。ああ、わたしはここにはとても住めないなあ。

第五話 フロントガラスの中の光景
【金曜日の五時過ぎは、早く用事を済ませてミラノから出ようとする車と人で、町全体が浮き立っている。】イタリアの多すぎる車事情。排ガス問題。
「フェラーリの赤」が持つ意味。「フィアットの力」。イタリアにおける南部差別。

第六話 そして、船は行く
【昔、六年ほど船上で暮らしていたことがある。】この船を手に入れるいきさつは『ジーノの家』所収「船との別れ」に詳しい。船の所有者の男性の話がメインだったがこちらは内田さんが船のオーナーになったものの船舶免許を持っていなかったため長い船歴をもつ知人3人(船長アントニオ、ジャンパオロ、サヴェリオ)に運搬を頼む。
船齢60年余り、真鍮製のいくつかの部品を除いてすべて木製、材質は水に強いアメリカ産マホガニー。みな【惚れ惚れした顔でため息を】つく。
アントニオは絵に描いたような海の男。【どんな船でも彼が舵を切ると、嬉しそうに腹を揺すって海面を飛んだ。】たいていの女性はまいってしまう。港ごとに女がいる、という感じ。だが船から降りたアントニオは形無しなので、だいたいのひとは醒めてしまう。

第七話 この香り、あの味わい
第六話にひき続き、船上暮らしから。サルデーニャ島の港に係留していたときの話。船員はサルヴァトーレ。
クリーム状のコーヒーを淹れるマリアとの交流。北イタリア、ヴェネト州出身。マリアとの最初の出会いは南フランスとの国境に近い村。そこの郷土料理である、ポレンタ。【白くて柔らかなものは、トウモロコシの粉を水で溶いて捏ね温めたものだった。ポレンタという。長らく小麦粉は高価な食材で、庶民はなかなか口にすることができなかった。彼女の故郷がある村では、そもそも麦は穫れない。そういう一帯の人々にとって、トウモロコシは小麦に代わる、重要な主食だったのである。】
北部ピエモンテ州に住む知人の従兄弟の若者が食事に押し掛けるようになってしまった。魚介類が苦手というのでそれを出すようにしたら彼はしゃあしゃあと【塩とオイル漬けのアンチョビ】をガラス瓶にぎっしり詰めて持ってきた。【北部の鄙びた山間の村で生まれ育ち、海産物といえば、干したタラと塩漬けのアンチョビくらいしか食べ馴染みがなかったのである。】これをおかずにして出される白米とパンを大量に頬張る。た、逞しい…。
また、シチリアの【それぞれの台所に、それぞれのアンチョビにトマトソース、オイルが】ある話、トマトソース尽くしのイタリアンの話、イタリアの国境の雑貨屋で出してもらった【<スリッパ>と呼ばれる細長い楕円形のパン】と自家製のオリーブオイルの小瓶と塩。

第八話 巡り巡って
【秋に降り始めると、春まで上がらない。ミラノ。】【大学を出てからずっと、自分にとってのイタリアは南部だった。】【仕事を始め、やむなく北のミラノに暮らすようになった。】
北の雨にうんざりし、【澄み切ったイタリア】も紹介したい。だが、ここはというところが思いつかない。南部では仕事にならないとしょげていると同僚が「リグリアはどう?」と提案してくれた。
【もともと雨の少ない地域であるうえに、その山は朝から夕暮れまでずっと日当たりがよかった。入り江の奥に位置しているせいで凪は長く、裾野から頂まで、オリーブや海松、四季ごとの花、野生の香草が密生した。】そこで知り合いになった女性に紹介されて東洋通のドイツ人女性を訪ねる。その家に生い茂っていた様々な種の竹林。【木々の枝先が空に伸び、風を受けて右へ左へと波打っている。見渡す限り、竹一色である。】
ミラノの中心部の屋敷街でふと入った画廊で展示されていた日本の竹細工。その家の女主人・昭子さん。【目を上げると、桑茶色の着物の後ろ姿があった。ほっそりと背が高く、緩く結い上げたうなじは白髪混じりで燻し銀のようだ。着物の裾から肩にかけて、数本の竹が描かれている。灰青色の地に華文柄の帯を合わせ、竹模様に勢いを加えている。】そして昭子さんを通じてまた知り会った80歳を越した敬子さん。彼女の招きで突然、アルゼンチンのブエノスアイレスを訪れることになる。イタリアからの移民が多いこの地。色鮮やかな集落。
冬の底を選んで訪ねたヴェネツィア。【時間が止まったままのような佇まいの漁師の島に陶然】とする。【車の通らない町で、音も匂いも色も、静かに沈殿している。】そして入ったレストランの店長は三十になったばかりの青年で、アルベロベッロの生まれだと答えた。【北で路地に迷い、気が付くと遠い思い出への迷路の入り口に立っている。三十数年前の景色が蘇る。アルベロベッロが会いに来たように思う。「それはきっと、南部が呼んでいるのよ」】。

あとがき
内田洋子にとっての取材、イタリアに向き合うときのスタンスが見開き2頁という短い一文に端的に記されている。これだけ短くまとまっているものをあえて部分的に引用するのも無粋だろう。興味をもたれた向きはどうぞ「あとがき」だけと云わず本書をじっくりとご通読・ご堪能されたし。