2016/01/03

小さいおうち

小さいおうち (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋 (2012-12-04)
売り上げランキング: 30,405
kindle版
■中島京子
2010年の直木賞受賞作。受賞したときにざっくりしたあらすじが紹介されて、それで「奥さまの不倫、それを女中の目から通して描いた話だ」と解釈してしまい、「別に読みたい内容ではないなあ」と思った。受賞のコメントで作者がご自身の「ボーイフレンド」という単語を使っておられ、そういうセンスのひとかとげんなりしてしまったことも大いに影響した。しかし先日読んだ『冠・婚・葬・祭』がわりと良かったので、代表作ぐらいは押さえておきたいと思った。

最初に結論を書いてしまうと、なかなか良い小説だった。
「奥さまの不倫、それを女中の目から」云々は誤解ではなかったが、この小説の主題はなんですかと聞かれてその回答ではマルは貰えない。かといって「これは反戦小説ですよ」と言い切ってしまうのもなにかそれだけを旗印にしてしまう抵抗感は否めない。
もっと、柔軟な、いろんなことを含めたメッセージ。全体を読んで感じるもの、それぞれがそれぞれに。何かしらあると思う。

たしかに不倫めいたことも出てくるが全然ドロドロしておらず、それがメインの恋愛小説でも無く、それが起こるまでに「奥さま」こと時子さんの人柄や置かれていた環境などが「女中」タキさん視点ですっかり好意的に描かれていたから、教養があって明るくて若くてきれいで優しいお嬢様育ち、という時子さんのことを嫌ったり、無下に批判する気などあまり出来なくなっていた。

この小説で良かったのは、昭和10年くらいから太平洋戦争で戦況が厳しくなるまでの、平和で明るくて豊かだった日本の少し豊かな家の日常の暮らしが若い女中さんの目を通して元気に描かれていることだ。
インテリや、社会情勢に詳しい者から見たら同じものを見ていても違う描写・解釈になるのかもしれないが、いままでわたしが小説や映画やテレビなんかで見聞きしてきた数少ない情報からも「戦前の日本はなかなかモダンで、今よりもむしろ贅沢だったり豊かだった面も少なくない」ということが言えそうで、『小さいおうち』はそのことを裏付けてくれた。

「女中」と聞くと意地悪な女主人にこき使われて貧しくて気の毒、というイメージがあったがタキさんいわく彼女が女中に上がった頃は既に女中払底の時代だったから呼びつけにされるようなことは一切なく、かならず「タキさん」とさん付けで呼ばれ、大事にされたと。ことにこの小説のメインとなっている時子さんなどは「タキちゃん」と呼んで随分可愛がっている。

ともあれ、この小説は平等な第三者視点ではないこと、だからこその「解釈」がまかり通っていることも事実で、わたしは読みながら何度かカズオ・イシグロ『日の名残り』を思い出した。あの小説も、雇われている側からの視点で描かれていて、冷静な視点でみれば明らかないろんなことがすべて違う解釈が為されている、そのギャップがひとつのあぶり出されるテーマであるからだ。

この小説で書かれる「恋愛」とは時子さんと板倉さんのそれだと思い込んで読んでいたので、最終章を読んで少しだけ驚いたが、驚きが少しだけだったのはずっと読んできたらそんなに意外な話でも無かったので「ああ、そういうふうにも受け取れるのね」くらいに思ったから、あと、あんまり決定的ではなくおそらくご本人ですらもあんまり突き詰めていなかったんじゃないかと思えるからで。どこからが恋愛で、どこまでが憧れや尊敬かなんて、わからないしね。

伯母さんの手記を頼まれもしないのに勝手に読んで、学校で習う「歴史」との違いから伯母さんを全否定する大学生の甥のあまりにも浅い思考に辟易していたから、最終章で彼が主人公になって、まあそれはそれでいいんだけど、その彼のキャラクターが数年後にしては随分イメージが変わっているのがちょっと不自然な気がしないでもなかった。こういうふうに持ってくるなら、もうちょっと伯母さんの言動に寄り添った人格にしておいてもよかったのではないか。

なんとなく、時子さんの御主人は気付いてたんじゃないかなと思う。社長さんはなんとなく不穏の種になりそうだから火が付く前にと見合いをすすめようとしたんじゃないかと思う。夫婦のことなどに早くから気付いていたタキが板倉さんとのことに感付くのは当然だがそれを時子の友人にあっさりバラそうとするのには仰天した。慕っている女主人の重大な秘密をそんな簡単になんの前置きも無く! それを聞いた友人が見当違いのことを言い出したのはどういうことかとそのときは思って読んだけど逆に言うとそれくらいタキの言動はわかりやすかったということ…?うーん。でもこのときの睦子さんの言動もちょっとよくわからないなあ。まずタキの言う内容に驚くのが自然じゃないの?

まあ納得が生きにくい箇所もあったが、タキのまっすぐで素直で明るい視点で描かれる日々は読んでいて清々しく、楽しかった。少しのんきすぎじゃないかとハラハラすらさせられた。タキが赤い屋根の洋館で過ごした日々はきらきらと輝く一生の宝物だっただろう。そんな彼女の大事なものをざっくり奪ってしまった戦争。もし戦争が起こらなければ失われるものも、ひとも、無かったんだということがすごく強く伝わってくる。戦争で少しずつ少しずつ歪んでいく嫌な感じ、無知ゆえにいらぬ苦労をしないでいるのが逆にほっとさえられたが、無邪気に戦時中の新聞を信じているのが切なかった。知って心配したところでどうにもならないんだけど。戦争ってひとが死ぬというのもあるけれど、それ以外にもいろんなところで日常生活を変えてしまう、奪われていくものがあるんだっていうことがリアルに伝わってきて、それは食べ物が少なくなるとかそういうことだけじゃなしに。

また日を置いて、今度は最後まで分かったうえで、最初から読み返してみたいと思う。