2015/11/28

愛のようだ

愛のようだ
愛のようだ
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長嶋 有
リトル・モア
売り上げランキング: 6,412
■長嶋有
著者初の書き下ろし長篇小説だそうで。
正直、知らない作家でこの装丁でこのタイトルだったら買わなかった。だって恋愛小説は守備範囲外だから。
でも、長嶋有の小説だから、「恋愛」って言ったってそのままじゃないだろう、愉しませてくれるだろうという保証があるから買った。
結論から云うと、すごく良い作品だった。
ずっと退屈させなくて、面白くて、しかも最後には感動もさせてくれる。素晴らしい。
長嶋有やっぱり大好きだと思った。

帯に書いてあることを本編を読む前に読んで良かったと思ったことは一度も無いので今回も出来るだけ目にしないようにしてカバーを外して中身を読み、最後まで読み終えてからおもむろにカバーを書け直しつつ帯の文句に目を通したが、うんまあ、間違ったことは書いてないけど、でもやっぱり小説を「受けの良さそうなキャッチコピーめいた短いキイワード」で紹介するとこうなるんだろうなあと、本編を読み終えた身の内でさっきからたっぷんたっぷん揺れている感動の感情の波を持て余し気味のわたしはそこに書かれていた【「泣ける」恋愛小説】【大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。】という言葉たちに「そうだけど、それだけじゃないんだ」と反論したくなる。特に「泣ける」というのが売り言葉に成り得る、という現状に強い違和感をいつも感じているから、ここにも使われていたかと諦念めいた思いがする。
小説を読み終えて感動したとき、この感動を伝える感想なんてどう書いたらいいんだ、とにかく「良い」から作品を読んでみてくださいとおすすめするしかないのだが、と途方に暮れる。それでは「感想」にならない。「広告」には到底成り得ない。帯に書かれた単語たちは、多くの読者を惹きつけるべく選ばれた、エッセンスなんだろう。

以下、この作品の内容、展開に触れます。「ネタバレ」しています。未読の方はどうぞご留意ください。

正直この小説も途中までは「地味な話だなあ、でもいつもの長嶋調(日常生活の何気ない会話や言動がやたら丁寧に細かく描写され、かつ、それにいちいち詳細な解説が付く)だから読んでいるのは楽しいけど」という感じだった。それが最後まで読んでみれば、「ああこの感動は全部繋がっていたんだ!」。
こういう、細かい伏線が最終部の感動に繋がっているという構成に、弱いね。してやられたね。でも巧いねえ、上手いんだわー。

この小説は最初の4行くらいはどういう状況かよくわからない不安な感じではじまり、5行目の途中でいきなりパアッと状況が明らかになる、冒頭から「あっ、おっ、そうきたか、巧いな!」と小さくにやっとさせられる。
長嶋有は以前に書かれたエッセイなどで運転免許を所持していないと書いていたが、本書の「俺」は長嶋さんがモデルなのかなあ、長嶋さん免許取られたんだろうか。わたしも免許を取ったのは27歳と平均よりは遅かったので教習所での気持ちとかは似ている部分もあったが40歳過ぎてからはすごい、しかもその後高速を使って遠出してたりして「実用」になっているところが尊敬しちゃうなあ。

  ああ心に 愛がなければ スーパーヒーローじゃないのさ

作中に実名の漫画、やや懐かしめの音楽のタイトルが頻出するのが楽しい。特に『キン肉マン』のオープニング曲「キン肉マン go fight!」はこの小説に無くてはならない重要なシーンで流れる。いろんな漫画や音楽の歌詞をしっかり読み込んで随所でそれを「引用」したりするところが長嶋さんらしいなあ、と感心する。昔はともかく最近は音楽をこんなに真剣に聴くことが出来なくなってしまった。9割方は「音」として聴いてしまっているので歌詞を覚えていないものが多い。さっきもこの作品で流れる奥田民生「さすらい」が自分のiTunesに入っているので聴きなおしたのだが歌詞はほとんど右から左に流れていってしまうのだった。


「運転」することによって世界の見え方や考え方が違ってくるというか、新しいレイヤーをもう1枚手に入れたみたいな感覚を詳細に語っておられるから、たぶん免許取得は著者の実際の生活でもそうなんだろうと思う(違ったらそれはびっくりするが、まあ、作家だもんなあ…)。

だってもう、あのときとは景色が違う。あのときとも、あのときとも。車に乗っている限り。
そういう風に感じたいと思うときが、生きていてたくさんある。なにかに失敗したとき、なにかを見透かされて消え入りたい気持ちのとき、誰かを悲しませてうなだれているとき。あるけど我々は大抵の場合、車に乗って移動してない。

これは正直云って個人によって見解の相違があると思う。現にわたしは車の運転をしていたことがあるが、運転しているときにこんなに前向きな気持ちであったことは無い。常に「失敗しないか」の恐怖と戦っていてずっと怖かった。運転に向いていないことこの上なかった。結果としてすぐにペーパードライバーになった。運転してみなければ分からないこともたくさんあったので無駄であったとは思わないけど、この小説を読んで長嶋さんがすごく運転から得ているものが精神的に大きいということにびっくりした。そうか、車の運転ってこういう影響を与えることもあるんだ。
もし長嶋有が18歳とかで免許を取得していたら、ひょっとしたら全然違う作風の作家だったかも、知れない。わかんないけどね。