2015/11/16

芥川龍之介再読週間④

手巾
手巾
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
手巾」(大正5年9月)
この話を今回読んでわたしは暫く愕然として次の作品を読もうという気になれなかった。ショックだった。この短編をわたくしは再読の筈である。細かいことは忘れていたが「息子を亡くした母親がその事実を笑顔さえ浮かべながら話していたが、彼女の内心の悲しみは手元のハンカチを握りしめる、そこに現れてた」という内容はクッキリ覚えていたからだ。読みながら、ああそうこの話はここが良いんだよねとすら感じ入っていた。だから最終部のある部分を読んで脳天をかち割られたかのような衝撃を受けたのだ。芥川はこう書いている。

  ストリントベルクは云ふ。――
  ――私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味と名づける。……
  先生は、本を膝の上に置いた。開いたまま置いたので、西山篤子と云ふ名刺が、まだ頁のまん中にのつてゐる。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。さうかと云つて、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破らうとする、得体の知れない何物かである。ストリントベルクの指弾した演出法と、実践道徳上の問題とは、勿論ちがふ。が、今、読んだ所からうけとつた暗示の中には、先生の、湯上りののんびりした心もちを、擾さうとする何物かがある。武士道と、さうしてその型と――
  先生は、不快さうに二三度頭を振つて、それから又上眼を使ひながら、ぢつと、秋草を描いた岐阜提灯の明い灯を眺め始めた。……

ここここの部分に記憶が有ると無いとでは作品の結論が全然ちがっているじゃないか、少なくとも芥川が書こうとしたのはこの最後の部分であり、ここが肝だったことは火を見るよりも明らかじゃないか、なのになんで「前振り」の部分だけしか記憶に無かったんだろう…っ。

もうなんだか自分が信じられなくって、嫌んなっちゃった。
でも、もしわたしが芥川さんと話を出来たとしたら、「あのー、たしかに〝演技"で顔で笑って手で泣く、っていうのはクサい手法だと思いますけども~、西山のお母さんがなさったのはリアルなんですから、それを一緒にするのはちょっと違うんじゃございません?」とは言いたい。長篇で、西山のお母さんの普段からのキャラクターとか息子との関係とかをもっと書きこんであって、それで「あの場であのハンカチを握りつぶしていたのは嘘くさい」と読者に思わせるだけの裏付けがあるんならともかく。
ちょっとググってみたら芥川はこの作品を新渡戸稲造『武士道』への皮肉・揶揄の意味で書いたらしい。芥川らしいなあ、と思うけど。
西山のお母さんがお気の毒だと思う気持ちと、その健気な様を見てとってそれを「日本の女の武士道だと賞讃」することを一緒にしたら芥川の視点は見えてこないってことかなあ…うーん…。

」(大正6年3月)
嘘や噂話は得てしてこんなもんだという話。ところで芥川君は狸と貉は違うと思ってたひとなのかなーというどうでもいいことをちょっと考えた。この話は貉の話なんだけど文中に「ついには同属の狸までも」「佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生」という箇所があったので。

南京の基督」(大正9年6月)
薄汚い豚野郎がいけなくなって、可憐な金花嬢が回復したのでめでたし、めでたし。と思って読み終わったら、最後に【本篇を草するに当り、谷崎潤一郎氏作「秦淮の一夜」に負ふ所尠からず。附記して感謝の意を表す。】とあって、ほほー。谷崎先生の件の話は残念ながら未読であります。

杜子春」(大正9年)
すっかりアラスジは覚えているけれどもやっぱりよく出来た物語で読ませるなあ。2回もおんなじ間違いをする杜子春を許してくれる鉄冠子はやさしいなあと思った。泰山の南の麓にある桃の花が一面に咲いている家を畑ごともらってそこで住むといい、ってなんて夢のような境遇なんだろうと羨ましくなった。