2015/06/17

夫婦善哉

夫婦善哉
夫婦善哉
posted with amazlet at 15.06.17
(2012-09-27)
kindle版
■織田作之助
オダサクの代表作、初読み。
この話の初出は「海風」1940(昭和15)年4月。
時代設定は蝶子と維康柳吉が出会ってしばらくして奥さんなどにばれて熱海に駆け落ちしたときに関東大震災に遭うから1923(大正12)年頃からだいたい10年くらいの間を描いてある。

法善寺横丁に行けば今も夫婦善哉を出す店が営業しているし(前を通ってそうだと教わっただけで入ったことはない)、この作品中には大阪の具体的な地名や店の名前がたくさん出てくるので詳しくないわたしでも「あ~あのへん」とわかるので詳しいひとにはすごく楽しいだろう。

題名と、オダサクのだいたいのイメージから、「貧しいけれど、夫婦仲良くっていう感じで、大阪の町の描写が活き活きとしてるんかな」と読む以前はぼんやり想像していたが、実際読んでみたら「夫婦仲良くって」以外は当たっていたけれど肝心の「夫婦」がすごすぎた。っていうか正確に言ったら蝶子と柳吉は夫婦じゃないし…最後の3行らへんは晴れて夫婦になってるんだろうか、そこについての言及はないけどまあラストの境地まで行ってたらそんなのはどっちでもいい問題なのかもしれない、イヤそんなことはないな、蝶子さん結婚したがってたもんなあ…。

蝶子は一銭天麩羅を揚げて口を糊している種吉とお辰のあいだに生まれた子で、家は年中借金取りが出入りする貧しい家。ひとり弟がいると書いてあるがこの子は直接1回も出てこない。
種吉は気はいいのだが算盤がはじけていないというか、商売がへたくそだから儲からないようだ。しかし読んでいると実に子どもに甘く、小学校を出た蝶子が女中奉公に出た時も半年くらいで手にあかぎれができているという理由で連れ戻して来たりしている。そのあと曽根崎新地の芸者の下地っ子となり、やがて17歳になった蝶子が芸者になると聞いて反対する。良い親父さんじゃないかと思うのだがびっくりすることに蝶子は「是非に芸者になりたいと駄々をこねる」んである。理由は「持前の陽気好きの気性が環境に染まって」ということらしい。だから「辛い勤めも皆親のためという俗句は蝶子には当て嵌まらぬ」んだそうで…。

この蝶子が恋に落ちるのが柳吉なんだが……女房もちで4つになる娘もいる31歳の男なんだが……最初から最後までこの男のどこが良いのか何が蝶子をそこまで尽くさせ別れたくなかったのかがさーっぱりわからなかった。
柳吉の父親の商売は理髪店向きの石鹸やらクリームやらを扱う卸問屋で、柳吉は長男なんだがいやー絵に描いたようなダメなぼんぼんで。
本文にも書いてあるんである「その仲は彼女の方からのぼせて行ったといわれてもかえす言葉はないはずだと、人々は取沙汰した。酔い癖の浄瑠璃のサワリで泣声をうなる、そのときの柳吉の顔を、人々は正当に判断づけていたのだ。夜店の二銭のドテ焼(豚の皮身を味噌で煮つめたもの)が好きで、ドテ焼さんと渾名がついていたくらいだ」。

芸者と駆け落ちした柳吉は父親から勘当され、2階を借りて所帯を持つ。柳吉はどうせ父親の勘当なんてすぐとけるだろうとタカをくくって働かない。仕方がないので蝶子がヤトナ芸者(臨時雇いでお座敷に出張する有芸仲居のこと)をやって一生懸命働いて少しずつ小金を貯める。それをこのバカ柳がカフェ(この当時のは今のそれとはだいぶ意味合いが違うようだ)や色街で1日とか2日で使い果たしてしまう、そういうことの繰り返し。

「なんで、蝶子さんはこんなアホと別れて楽になろうとか思わへんのかなあ」と何度も思っていらいらしさえもしたが、要するに、好きだったんだろう。お金がなくてもなにがなくても柳吉さえいれば幸せで、柳吉を失ったらどんなにお金を貯めても意味がなかったんだろう。すごいなあ。

柳吉のほうはじゃあどうなのかなと思うけど、隙あらばお金のある実家に戻って無心して、挙句の果てに蝶子にウソでいいから「別れる」と言えと、そうしたら実家がお金をくれるからと騙そうとさえする。どうも、愛とか好きとかじゃなくてこのアホは苦労とか貧乏に慣れていないからそれがしんどくて、しんどいのがイヤだからそれを楽にしてくれる方向であれば別に蝶子と別れるのもまあ仕方なしと考えていたっぽい、っていうかなんにも考えてなかった、のかもしれない、ほんまにどうしようもないしょーーーもないアホである。

ちなみに奥さんは柳吉と蝶子のことが発覚してすぐ里に帰りそのあと籍も抜いている。奥さん愛想をつかすの早すぎ、でもこの件がなくてもきっとこの男のアホぶりにあきれてたんでしょうね、で、このアホが店継いだら速攻つぶれるんじゃないかと危惧してたんでしょうね。ふたりの娘は店が引き取り、柳吉の当時18歳だった妹さんがその面倒をみたという。で、後々この妹さんがお婿さんをもらって店を継ぐことになる。ちなみに柳吉は最初このお婿さんに無心に行き、けんもほろろに断られた後は妹さんに何度もタカり、それで生活を楽にとかならまだしもそのお金で遊んでしまうというアホの極みである。

蝶子は尽くすタイプでえらいと思うが性格的にはなかなかきついところもあって、健気という感じはしない。途中から柳吉が遊んで帰ってくると折檻しまくるようになるし、どうやらどんどん肥えていったらしいし、2階を貸してもらっている主夫婦に「あれじゃあ、男は逃げていくわ」と言われてしまうような言動がある、でもそこらへんは実は夫婦でないとわからない事情があって、蝶子がやらせているのではなく柳吉がわがままをしているのだったりもする。

「惚れた弱み」とはいうけれど、蝶子のそれはまさにそうとしか言いようがない、だから第三者が冷静な目で見てそれを理解するのは難しい。本当に純粋に「好き」だけでここまでやっているのか、そこには「女の意地」とか「男だけ自由になることへの許せない気持ち」というのもあるんじゃないかと勘繰ってしまうんだけどうーんそのへんはどうなのかなあ。
とりあえず最後の部分を読んだら「あんたらもう知らんわ、勝手にしぃ」というか「夫婦喧嘩は犬もくわんとはこのことか」という気持ちになる、同時に「まあとりあえず幸せそうでよかったやんか」とも思う。

そうそうオダサクといえば「自由軒の玉子入りライスカレー」だが、この作品に出てくる。これもいまも残っているはず(ちょっと前にテレビで観た)。おしゃれとか今風とかからは遠い食べ物ばっかりだけど、関東炊きのお店とかも残ってそうだし、大阪南の美味しい食べ物がたくさん出てくるこの本を片手に食べ歩きとかしてもディープな大阪って感じで楽しいかもしれない。