2015/04/05

太宰治の辞書

太宰治の辞書
太宰治の辞書
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北村 薫
新潮社
売り上げランキング: 92
■北村薫
北村薫の新刊である。
しかもただの新刊では無い、ななななんとあの「円紫師匠と私シリーズ」の新作だって仰るンですからもうあなた、大変ですよ、あたしゃその情報をパソコンで見た瞬間思わず大きな声で叫んじゃいましたヨ(旅と現代文学。さま、いつも一方的にお世話になっております)。

「円紫師匠と私シリーズ」と云えば!(思わず握りこぶしに力が入る)言わずと知れた、1989年の北村薫のデビュー作『空飛ぶ馬』にはじまり1990年『夜の蝉』1991年『秋の花』と続く全5冊からなる名作である。
1992年『六の宮の姫君』で主人公の卒論に絡めて芥川龍之介と菊池寛のことを扱い、1998年の『朝霧』では主人公「私」が大学を卒業し社会人(編集者)になっていた。そしてそこからこのシリーズの刊行は無かった。
それが何故、2015年のいま!?
にわかには信じ難かった。

ちなみにわたしはこのシリーズは単行本ではなく、文庫本になってから読んだクチである。一番最初に読んだときは、既に2冊目か3冊目まで文庫化されていた。大学3回生の学祭のときに久しぶりにお会いできた4回生の先輩が「面白い本があるよ」と教えてくださったのだ。そのときに「この作者、男性と思うか女性と思うか、先に調べず解説も読まずに読んでみて」とも言われた。後で、この作者がデビュー当時は性別も明かさない「覆面作家」であったと知ってへええと思った。主人公が真面目でまっすぐな女子大生であったので、著者の面影と重ねて読む読者も少なくなかったという。実態は、主人公のお父さん世代の男性だったわけですがね。

というわけで、読み手であるわたしは主人公の「私」と同じような年齢の時にこのシリーズと出会った。その「私」がまた書かれる。いくつになったのかしら、年齢はリアルに重ねてが普通だろうけどあるいは小説上の「時」は止まっていたという設定でまだ若い「私」のままということも、昔のイメージのままということも!?
しかもタイトルが『太宰治の辞書』。
恥ずかしながらわたしの卒論のテーマは太宰治なのである!
これはもう、なんていうか、「文庫で読んでたんだよね」とか云ってる場合じゃない、3年も待てるか。

3月の末に町の小さな本屋さんに行ってみると棚ざしになっていて、表紙を確かめると――おお、最近の高野文子のタッチだなあ、それが不思議と年齢を重ねた「私」にマッチしている。描かれたピンクと白の花はこれは、読む前には特に意識していなかったが読み終えたいまはこれは「菊」でしか有り得ないだろう。

単行本なので休日である本日朝から、手をきれいに洗って息を整えてから読みはじめた。
「花火」「女生徒」「太宰治の辞書」の3篇構成。
「私」は年齢を重ねて、中学生の息子さんのお母さんになっている。編集者として仕事もずっと続けている。「連れ合い」として夫君は出てくるがどんなひとか、直接の会話などは無く風貌も語られない。出勤時間の描写から同じ職場では無さそうだし同業者でも無さそうとわかる程度。
そして「女生徒」ではかの「正ちゃん」が出てくる! 「私」とお酒を酌み交わしている、ああ、楽しいなあ正ちゃん、ちっとも変わってないのが嬉しいよ。

「花火」は芥川の話である。三島も絡む。そしてピエール・ロチ。
「女生徒」から太宰の話。原典を探す話。
そしてそこから発展して「太宰治の辞書」になる。だから素材となる話は「女生徒」である。

懐かしかった。
読みはじめて「ああ、北村先生のこの文学オタクぶり…!(もちろん褒め言葉です)」と悶絶してしまうくらい喜びにひたった。
調べ物をするために図書館を利用するまでは一般人にも出来るけど雑誌の版元だからって出版社(文藝春秋)に見せてもらいに行くとかこれは作家さんか編集者にしか無理だよね。っていうか早稲田の図書館にならバックナンバーありそうなイメージなんだけど、無かったのかな。
最後まで読んで、とても良かったけれど、北村薫の専門とか興味のウェイトはやっぱり芥川のほうで、短い「花火」での踏込に比べると太宰へのそれはちょっと浅いなと感じてしまった、『六の宮の姫君』レベルのを期待していたからそう感じてしまうのか、それともわたしの芥川と太宰についての関心度の違いがそう思わせるだけというごく個人的なものなのか。あるいは著者・北村薫の1992年と2015年の違いなのか。

ひとつだけ確かなことは北村薫は太宰治に好意的ではあるがファンという立場では無い、芥川については読んでいるだけで「お好きなんだろうな」と伝わってくるんだけど、ということだ。
本書を読む傍らで、kindleで青空文庫の無料で読める芥川龍之介「舞踏会」と太宰治「女生徒」を久しぶりに読み直した。わたしはロチを知らないから、「舞踏会」を読んでもピンとこなかったのは当然と思ってしまった。でもそうじゃない、この短編の大事なところはそんなところにはないんだということが江藤淳や三島由紀夫から引用された文章を読んでいると明確に示されていて、全然受信できなかったんだなあわたしは、と。

「女生徒」に関しては、津島美知子『回想の太宰治』も山岸外史『人間 太宰治』も卒論のために読んでいたが有明淑の日記は読んでいなかったのでどこまでが原案でどこからが太宰の創作なのかなどの話は非常に面白かった。この話に下着に白い糸で薔薇の刺繍をするエピソードがでてくるんだけど、本書でも主人公が原稿を依頼した大学の先生が別の作品の展開を記憶のなかで混ぜこぜにしていたというのがあったけど、高木敏子『ガラスのうさぎ』という児童書で主人公がやはり下着に花の刺繍をして、それを教師に見咎められるというシーンがあって非常に強く印象に残っている。戦時中ゆえ叱責されるのだ。ごっちゃにはならないけど、わたしはこのふたつは同時に思い出す。
北村薫『太宰治の辞書』では「ロココ」についての言及について「私」が引っかかり、そこを追究していく、ロココ風の手料理で華やかに皿を彩りお客をもてなすというささやかな少女の心意気を書いたあのシーンはわたしも好きだけどそうか読み手が違えばこういうふうに話が広がるのかと意外な感じでわくわくした。

正ちゃんの「変なもんだね。若い頃だったら、まず《ちゃんと返せよ》っていったのに。――でも、この年になると違うな。自分の好きだった本が、友達のうちにずっと置いてあるのも、悪いことじゃない」っていう台詞がジーンと来たなあ。

そういえば、太宰治といえば最近は又吉直樹さんだけど、本書にも又吉さんについて主人公が言及するシーンがあって、びっくりした。そして、又吉さんの近著、初めての純文学のタイトルは『火花』だ。本書の「花火」の中で芥川の「火花」の描写についての言及もあるのだ。

北村薫といえばその博覧強記ぶりから芋づる式にあれやこれやが出てきていつも目を白黒させられ「一生かなわねえ」という思いにかられるのだが、それにしても読書は、文学は、ぜんぶツナガッテいるんだ――
そんなことを改めて感じて、そして本書本文を読み終えて奥付も見てそのあとの新潮社の巻末の出版案内数ページが見事に本書に登場した作家たちのそれで。三島の横に1冊分開いた、そこにボヴァリー夫人を入れてある、わはっ。そのラインナップの、編集者さんからの目配せに、大笑いしてしまった。いやーあ、楽っしい!!
最高。

ネットをググってみると新潮社のホームページに「刊行記念特集」としてインタビュー記事が載っており、興味深く読んだ。
続篇は難しいのかもだけど、読みたいなあ。っていうか「空白の期間」を埋めて欲しい……。


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