2015/02/08

キッチン 【十代の頃以来の再読】

キッチン
キッチン
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幻冬舎 (2013-10-26)
売り上げランキング: 77
kindle版
■吉本ばなな
本書は1988年1月福武書店より刊行され、1991年10月に福武文庫、1998年6月に角川文庫、2002年7月に新潮文庫として刊行されたものが2013年9月幻冬舎から電子書籍化したものである。
kindleの通常価格¥430が先日「本日のセール」で¥199になっていたので買って読んでみた。
カバーデザインは増子由美(電子書籍でカバーがこういうちゃんとしたものであることは珍しい)。

この本は昔かなり話題になっていて、すごく売れている感じだったが、このkindle版に収録されている2002年春に書かれた「そののちのこと」という「文庫版あとがき」(つまり新潮文庫に入るとき用だね)はこんな文章からはじまる。
 【この小説がたくさん売れたことを、息苦しく思うこともあった。
  あの時代のものすごい波に飲まれてしまって、なんとなく自分の生き方までが翻弄されるような感じがした。
  私の実感していた「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。(後略)】

正確な時期は覚えていないが、わたしは吉本ばななのこの作品をたぶん高校生のときに文庫で読んだ。もう1作、『TSUGUMI』も同じような時期に文庫で読んだことははっきり覚えていたのだが(牧瀬里穂主演で映画化していたなあ)、『キッチン』についてはよく思い出せない。だから初読みと同じことかもしれない。

本書には「キッチン」「満月-- キッチン2」「ムーンライト・シャドウ」の3つの短篇が収録されていて、前の2つは関連しているけれども3つめの話は別の話だ。
しかし3篇とも読んでいて共通しているなあと思ったのは「身近な人の死」が扱われていることで、すごく大事なひとの後2編はまだ若いひとの突然の死によって残された側の物語である。

主人公はいずれも二十代そこそこの若者だから、なんでこんな若いのにその最愛のひとが続けざまに死んじゃう経験をしなくちゃならないんだろう、というかなんで吉本さんはそういう設定にして小説を書いたんだろう、例えば「恋人を失う」にしてもふつうに「別れた」というのと「相手が死んでしまった」というのは「もうこれからは一緒にいられない」という意味では一緒なのかも知れないけどやっぱりそれでも全然違うよなあ……などということを考えながら読んだ。

そしてこの話はやっぱり昔読んだみたいに十代から二十代前半くらいまでに読むのがもっとも胸に響くであろうしずっぷりと共感・共鳴して感動するだろうなあというのをしみじみと実感した。
いま読んでも良い小説だなと思うのだが、なにか一枚フィルターが挟まってしまっている(読み手であるわたしの側に)。
「ああ、こういう思考回路、心理状態に激しく反応した時代がむかしはあったなあ」という過ぎ去った自分の過去を顧みるような思いで、それはそれで意味があるんだろうし悪くはないのだが、やはりこの小説はもっと若い未完成なみずみずしい感性にこそ訴えかけるものがあるんだろうと思う。

だから本文を読んだあと「そののちのこと」を読んで(さっき引用した後に書かれていることなどを読んで) 、ふむふむ、そうでしたか、そうでしょうなあ、というような納得をしたりした。

「ムーンライト・シャドウ」は設定が悲しすぎてあんまりまともに読むことが出来なかった。でもよく出来ているよなあ、やっぱり吉本ばなな昔っから上手かったんだなあ、こりゃ売れるよなあ。

「キッチン」を読んでいるときから気付いたのだけれど、登場人物たちの言葉づかいがとてもきれい。いまの小説の若いひとはこんなにきれいにしゃべらない、当時はまだこれが残っていたのか。

「満月」を読んでいて連想的に浮かんだのは料理家の高山なおみで、そういえば彼女の文庫の中に吉本ばななの家に遊びに行くシーンがあるから関連があるのだった(『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ』)。彼女たちが知り合ったのはこの小説が書かれる前からなのか、後なのか。少し気になる。高山なおみの雰囲気とこの主人公は似ている部分があると思う。