2014/08/06

東京日記 【再読】

東京日記 他六篇 (岩波文庫)
内田 百けん
岩波書店
売り上げランキング: 20,256

■内田百閒
7篇収録。6篇は戦前、1篇だけ戦後。百閒50歳の頃に書かれた作品とのこと。
とりあえず前編通じて夢っぽい、現実の道筋では話が通らない。続けて読んでいると頭の中がおかしくなりそうだ。こんなことを書くひとの頭の中はどうなっていたんだろうと思う。また、猫や犬が「嫌な物」として書かれている。現代の作家ではあんまり見られない現象のような気がする。みんな動物好き、犬も猫も可愛い愛すべきお友達として出てくる気がする。百閒先生といえば借金王で鉄っちゃんだけど、借金の話が全然出てこない。鉄道のことも出てこない。何故だ。創作に徹しているからだろうか。でも主人公はみんな中年の男性で、少し百閒先生の面影を引き摺っているような気もする、というかどうしてもそういう読み方をしてしまう。解説は川村二郎。

白猫
「週刊朝日」1934(昭和9)年7月29日号
下宿の隣の部屋にちょっとおかしな男女連れが来て……。
百閒先生は基本的に猫お嫌いだったのだよね、たしか。『ノラや』のノラは別として。ということを猫の書き方から思った。文中に、40歳を過ぎている女の人が白粉を塗ってたらどうだとか、もうおばあちゃんのくせに、とかいう女中さんの言葉が出てきたりする。昔(と云っても昭和だけど)は40代ってそういう扱いだったのかなあと最初に読んだときもびっくりした。

長春香
「若草」1935(昭和10)年1月号
長野初さんの思い出。
ドイツ語を百閒先生に習いに来ていた当時の才媛さん、結婚して離婚してその後習いに来られていた、という、うーんいまの朝ドラの蓮さまもそれで女学校に来られてたけど、お嬢様はそうだったのかなあ。
あっけなくひとの命がついえてしまう運命が悲しい。

柳撿校の小閑
「改造」1940(昭和4)年5,6,8月号
柳さんがけっこーわがまま。
淡い恋の物語でもあるけれど、なんだか共感できない。

青炎抄
「中央公論」1937(昭和12)年10月号
悪夢みたいな、理路整然としない展開で頭の中がぐるぐるしてぼうっとしてくる。騙されるような、あやかしのような、これは罠なのか……。

東京日記
「改造」1938(昭和13)年1月号
これもどれも夢に出てくる話のような、少しずつ現実からずれている。「夢十夜」が23続くかのような。

南山寿
「中央公論」1939(昭和14)年3月号
法政大学を辞めた後のいろんな気持ちが反映しているのか、これも現実では有り得ないような、迷信かどうかみたいな妙な心理状態とか錯覚?幻覚?主人公の精神衰弱?みたいな展開の変な話。「南山の寿」という言葉が出てくるけどこの短編のよみかたは「なんざんす」で良いんだよね?全然「南山の寿」っていう内容じゃないからなあ。

サラサーテの盤
「新潮」1948(昭和23)年11月号
この話も現実離れしているが、本書の中でいちばんストーリーがあるというか、「あらすじが書ける」話である。ドラマチックでもあるし、いろいろ解釈しやすいというか、わかりやすい。昔の玄人の女のひとってこういう感じかあ……というふうにも読んだ。故郷の訛りをかすかに残した美人と会って、そのひとと結婚するのかと思いきやそれはあっさり東京に戻って結婚し、相手は「年来の恋女房」だとか書いてあると「うーん、浮気!とか男同士の友情で云わないのか玄人相手は浮気じゃないのか……」などと複雑な心境になるがこれは時代の差?それとも男女の違い?
おふささんの「私は世間の普通の御夫婦の様に、後に取り残されたのではなくて、中砂は残して来たなどとは思っていませんでしょう」という台詞が胸に沁みた。