2014/07/12

エンジェル エンジェル エンジェル 【十年ぶりに再々読】

エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)
梨木 香歩
新潮社
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■梨木香歩
この話はいちおう児童書とされるのかな。
現代が舞台で高校生の考子の視点で書かれた章と、その祖母が女学生だった時代を描いた祖母視点の章が交互になっている。
単行本と文庫版両方持っているが、単行本はコウちゃん視点の章とさわこちゃん視点の章で文字の色が変えてある。文庫版は色は同じだけどさわこちゃん視点の章は旧仮名遣いになっている。

コウコはどうも精神状態が不安定なようで、1日にコーヒーを30杯は飲まないと頭がぼんやりする、どうもカフェイン中毒ではないかと最近になってようやく自覚したとか書いてあって「危ういなあ」と思う。いままで父の兄である伯父の家にいた祖母が同居することになったが、手洗いに立つ際などに助けが要る、自分の息子と孫を忘れているなどの状態(コウコの母親はこの姑に対して礼儀正しく接しきちんと世話をしていて、すごいなあ偉いなあとわたしなんかは思うがまだ高校生のコウコはそういう意識は特に無いようだ。だからしてこの物語の趣旨はそこにはない)。コウコは夜中に起きる生活パターンだったので、祖母の夜中の手洗いの手伝いを母に代わって引き受けることになる。そのご褒美に欲しかった熱帯魚を飼ってもいいということになった。エンジェルフィッシュとネオンテトラを買って、後からさらにネオンテトラを追加したのだが……。

さわこの家は豊かな農家で、年の近い女中さんのツネがいる。女学校ではさわこの幼馴染のかーこ派と、頭が良くて凛とした美少女の山本公子さん派に分裂している状態。公子さんはごく親しい友人にはコウちゃんと呼ばれていて、さわこは自分もコウちゃんと呼べる親しい仲になりたいけどかーことは昔からの仲だしなあ、という状態。担任の翠川先生の清楚な美しさに憧れている。そんなある日、さわこは偶然、放課後の教室でふたりっきりでいる翠川先生と泣いている公子さんを見てしまう。ふたりの親密な様子に大ショックのさわこ。次の日から公子のプリントを破ったりいろいろ嫌がらせをしてしまう。どんどん自分の中の黒い部分が膨れ上がって行って、自己嫌悪で苦しむさわこ……。

少女の潔癖さによる自責の強さと、他人に対しての自制心の無さ、不安定などからくるいじめ行為の幼稚さなどのアンバランスが「うーんこの年代って難しいなあ、苦しいんだろうけどなあ」という感じだった。
コウコが宗教に興味を持って大学もそれに因んで選ぼうとしている、という記述は梨木さんご本人もそういう学科出身だし、「おーここでこんなこと書いてあったんだ」と改めて。

それにしても本能で生きている熱帯魚の行為を人間と神のそれに置き換えてどうこうする、というのはすごく違和感があった。今回のケースだと、エンジェルフィッシュの暴走を誘発したのはコウコがよく調べもしないで安易に「きれいだから」とかいう理由で行った行為の代償で悪いのはつまり「人間」だし、人間が戦争などで他の民族などを殺戮していくのは理性を持って行動すべき「人間」が感情や利権などさまざまな身勝手から行った結果なのだから責任は「人間」にある。エンジェルフィッシュを人間が誤って導いたことと人間が間違ったことを神様のせいだと比喩してごっちゃにするのはおかしくないか。というか魚に夢を見過ぎである。生き物を飼うということを人間の道具にするからである(熱帯魚を観たら精神が落ち着くとか)。最初にエンジェルフィッシュが暴走を始めた時点でエンジェルフィッシュをどうにかするのが生き物を飼う人間の責任じゃないのかな。
「私が悪かったね」と神様も思っているとしたら救われるね、とコウコたちが云うシーンは美しいケドものすごく感情に流されていて責任転嫁も甚だしい、と共感できなかった。私は別に無神論者じゃないけど、人間がおろかなのは人間のせいだとしか思えない。

最後のところでツネがさわこの為に彫ったと思われる木彫りの天使をコウコが見つけるが、ああもう少し早ければさわこに届いたのになあと悲しくなった。さわこが後年、木彫りをするのはツネの影響なんだろうなあ。
少女というか、人間のこころの弱さが招いていくいろんな悲しいことがたくさん書いてある話で、読み終わった後しばらくずっとシーンとこころが暗く沈んでしまった。悲しい話だ。