2014/06/24

食べごしらえ おままごと

食べごしらえおままごと (中公文庫)
石牟礼 道子
中央公論新社 (2012-09-21)
売り上げランキング: 45,483

■石牟礼道子
大きい書店で書棚をじっくり見つめて読む本を求めていたところ、本書が表紙見せで置いてあり、「おっ、食べ物ネタ!知らない著者だけど、買ってみよう」と何気なく購入した。単行本はドメス出版というところから1994年4月に上梓されたもので、2012年9月25日中公文庫から初版発行。どうも池澤夏樹個人全集にこのひとの代表作が入ったのと関係ありそうな?

読みはじめてびっくり。口絵のカラー写真の数々の料理の手の込みように感心したけど、なかの文章はそれを上回る奥深さだった。
このひと、何者。寡聞にして存じ上げなかったので、文庫カバーの略歴を見たり、ネットで検索したりした。
ウィキペディアから引く。1927年というから昭和2年生まれだそうだ。
【熊本県天草郡河浦町(現・天草市)出身。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始。1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。
代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退。】


そうか、べつに料理研究家とか郷土料理なんちゃらじゃないのか。
むかしの女のひとの「料理」ってこういうことか、味噌も醤油も自宅で取れた大豆から作り、小麦や米を育て粉を挽き、野菜は自前の畑から、野草は近所の川原に行って摘んでくる……。
煮炊きはもちろん竈である。
おおおお、なんたる手間のかけぶり!
著者のお父様は彼女が子どもの頃、七草粥を食べる前に必ず訓辞をされたという。「飢饉のときは天草では何を食べてきたか、海山のめぐみとはどういうことか。神仏の配慮を心得ぬ人間がふえているのはまことに情けない、食べ物をなんでも店で買おうというのは堕落のはじまりじゃ」。

しかしながら「手間」だと思ってしまうのは「買ってくるのが当たり前」な育ち方をしたからであって、著者はちっとも手間だと考えていない、むしろ季節のめぐりを野の草々から感じ、それを食卓にのせる喜びに嬉々とされているような、お客様のために「食べごしらえ」を「ままごと」をするかのように手遊びのようにうきうきとお料理されているさまが浮かんできて、読んでいると自然にこちらのこころも弾む。
一品一品の素材の来歴がわかっている、究極の地産地消、いま流行りの「作り手の顔がわかる」なんてもんじゃない。とびきりの贅沢なのだ。

そもそも「食べごしらえ」という言葉もわたしの語彙には無かった言葉で、そりゃ聞けば意味はわかるけど「料理」「調理」「ご飯を作る」と云うのとはちょっとニュアンスが異なるというか、度量の深さみたいなのを感じるあじわいのある良い言葉だなあ。「こしらえる」というのもつかいこなせない言葉のひとつなんだけど、年齢を重ねたらわが身でしっくりくるようになるだろうか。

昭和の戦後生まれのひとが書いた料理エッセイやグルメエッセイには到底見られない腰の据わった「味の重み」みたいなのが感じられて、食べ物一つとってもその家の伝統みたいなつくりかた、ならわしがきっちり積み重なっている感じがして、凄い。
ひとつひとつの章がとても豊かに滋味深くて、会社の昼休みに数日かけてじっくりじわじわ、かみしめるように味わった。絶品。

目次
ぶえんずし/十五日正月/草餅/山の精/梅雨のあいまに/味噌豆/油徳利/獅子舞/水辺/菖蒲の節句/七夕ずし/から藷を抱く/お米/くさぐさの祭/つみ草/薩摩のかつお/さなぶり/灰汁の加減/花ぼけむらさき/手の歳月
風味ということ――あとがきにかえて
文庫版あとがき
解説・池澤夏樹