2014/04/24

佐渡の三人 【再読】

佐渡の三人
佐渡の三人
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長嶋 有
講談社
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■長嶋有
初読みは2012年10月で、その年読んだ私的ベストテンの1位だった。の、再読。やはり非常に面白く、読んでて気持ちよく、堪能した。

ストレートな感想は前回書いたので、今回は変化球で。

本書を読みながらしみじみ思ったことは、この話に出てくる主人公のおばあさま・みつこさんの話し方がすぱっ、きぱっとした感じでなんか良いんだよね。
「それはないだろう!」(私はこれでいいんだ!)(私はなんでも無駄にしないだ)(ここにちょうどベッドを置けるな!)
( )に入っているのは原文がそうだからで、つまりこれは実際にみつこさんがそう発言したのを主人公が聞いたわけではなくて、いかにもそう言いそう、という主人公の想像上のアテレコなんだと思うけど、なんとも云えないユーモラスな感じがあって、読んでいてもそうだったが、書き写しながらまたわくわくした。語尾が「だ」とか「な」とか強い感じなのがイイんだよね。味わいぶかい。

前回読み終わってから後に、読売新聞の書評ページの著者来店とかいうコーナーに長嶋さんのコメント記事みたいなのが出てて、それに長嶋さんの著作と、実話とのスタンスみたいなのが書いてあって非常に興味深く読んだ。
今回読み終わってから後にネットでググったらこういうの(現代ビジネス 読書人の雑誌「本」より「『佐渡の三人』著者:長嶋有 真・佐渡の三人」も見つけて、これもふーんへーえと思って読んだ。

あと前回も思ったけど今回も、この話に出てくる主人公の親戚のおじさんたちはみんなそれぞれヒトとしてカッコイイなあというか、味がある、もちろんおばちゃんもおばあさまも大叔父さんも素敵だし。それぞれが主役級に「面白そう」なキャラ立ちしてるんだよね。

扱われているのが大往生とはいえ身内の死とか納骨とかなのに、ほんとうに暗さ、悲しさ、嘆きが書かれない、そういうふうに持って行っていない、そこが独特だなあ、そういう家風だということだろうか。むしろ泣いたトキコちゃんが何かとっても純粋培養された美しく珍しい存在のように読めてしまったその不思議。

今回読んでいて最後の方の「私」の独白になんだかぐーんと共鳴というか、当たり前のことなんだけど、あらためて「そうなんだよなあ!」と深くうなずいてしまったので、部分だけ読んでもあまり伝わらないかもしれないんだけど自分の覚えのために引いておく。

死んだらいなくなるというのは、そういうことなんだな。死ぬというのは身体的なことや観念的なことだけでない。

でも今日わかったことがある。私は、いろんなことをよく実感できていなくてもいいのらしい。こと私が死んだとき、実感しないせいで生じるあらゆることについて、あと全部、生きているひとが決めるんだ。

なんとかするって生きてるひとしかできないのだなあ。

つまりなんていうか、生きているひとのために「納骨」とかもあるんだよねという、あーそういう考え方が出来るんだよなあとあらためてしみじみ、モノゴトっていろんな視点で見たほうがカタマラなくていいなあと思ったんであった。