2014/04/13

戦後短篇小説再発見6 変貌する都市

戦後短篇小説再発見6 変貌する都市 (講談社文芸文庫)

講談社
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■講談社文芸文庫編 ■戦後短篇小説再発見
2001年に順次刊行された講談社文芸文庫の叢書のひとつで、『10表現の冒険』は数回再読して中の数篇は愛読している。しかしもう絶版になってしまっているのでもっと買っておけばよかったと思う今日この頃、ジュンク堂に行ったら期間限定再版というのがあったらしく、棚に並んでいた。アンソロジーは買ったものの読めなかったというもったいない経験が何度かあるので雰囲気買いはしない。
第6巻の出版社の紹介文には【孤独な人々の夢が集積する都市空間――焼跡の廃墟から大都市の砂漠まで、都市居住者の内面を捉える12篇】とある。

織田作之助「神経」 ★★★
戦後すぐくらいの大阪は千日前を中心とした日常風景、思考などの随筆風。話し方、喋り方の「型」の話ではじまって、宝塚のレビューを「男子一生の仕事ではない」とか今では到底メディアに載せられない暴論で腐し、天下の徳川夢声も貶す。誰彼個人がダメというのではなく「型にはまった喋り方」が気に食わないらしい。そこから劇場ファンでそこの溝で変死していた若い娘の話になり、ずるずるとそこらの商店やなんやの思い出話とつながっていく。飴屋と本屋。おおと思ったのは「波屋書店」が登場すること。そこの当時の店主「参ちゃん」と馴染みだったようだ。最初のほうは愚痴っぽいなあと閉口していたのだが途中から面白く読めた。特に自分が雑誌に書いた内容をある方向性(戦後だけどがんばって立ち上がる明るい面)に意図的に書いてしまった、と悔やんだり悩んだりするところらへんの心境などが良かった。それにしてもこのコテコテの大阪弁はもはやテレビの芸人さんくらいからしか聞けなくなったなあ。

島尾敏雄「摩天楼」
空想の中の架空の街、空をだんだん上昇していく妄想は少し「飛ぶ男」を連想したがだんだん悪夢っぽい展開になっていく(どんどん出口が塞がれていくとか個人の夢なのに似たパターンがあるなあと思う、何故だろう、人類共通の恐怖なのか映画などの影響か)。読み終わって「だからなんだと言いたいのだろう」と思ってしまった。

梅崎春生「麺麭の話」 ★
子どものころから戦中戦後の日本の話を読んでいていつも強く感じてきたことは「食足りて礼節を知る」ということで、「衣」も大事かもしれんがとにかく飢餓はいかん。明日どころか今日の食べ物も満足に無いという状況は人間から尊厳や情、思い遣りなどのあたたかみを奪ってしまう。この話の主人公は公務員だが貧しく配給は食料不足で育ちざかりの息子に満足に食べさせてやることも出来ない。空腹である。おまけにぎゅうぎゅうで身動きも儘ならないレベルの満員電車に乗っている。最悪だ。そこで重箱を抱えてよろよろしているお婆さん(自分より明らかに弱い存在)にいいがかりをつけ、わざと酷いことをしてしまう。読んでいて非常に息苦しく不愉快だった、現代でも満員電車は自分本位の巣窟みたいになっているからリアル過ぎて。
貧しくてパンを盗むというと『レ・ミゼラブル(ああ無情)』だけど、そこらへんがあるのかなあ。

林芙美子「下町」 ★
夫がシベリアから帰ってこなくて、幼い息子を抱えて慣れない行商をしはじめるおかみさんが三十歳で、話の中で「おばさん」と呼ばれていることが時代だなあと思う。知り合った男との交流にささやかな心の浮きを覚えていたその矢先の展開に「うーむ」と思う。でも最後のところで明るい表現になっていて、なんのかんのでたくましさを感じた。

福永武彦「飛ぶ男」 ★★
大昔の学生時代にその発想は気に入ったがカタカナ混じりの部分が読みづらくて一読したきりだったのを今更ながら真面目に読んだ。昔も思ったのだが、この主人公は病院のベッドで寝たきり(寝返りはうてるが体を起こして窓の外をみることは出来ない)という設定なのだけど、書かれているのは「体が不自由なこと」では無くて、もちろん闘病の話とかでもなくて、もっと比喩的な不自由、精神・こころ・思想なんかの不自由なんだと感じる。たとえば右側の風景(ドア・廊下に通じる・窓が鏡越しに見える)は過去で、左側(高い空が見える開けられた窓)は未来だという象徴が繰り返し書かれること、具体的な病気の記述が一切ないこと、医者や看護婦が人間臭さを感じさせない描写になっていること、見える範囲の「空」の描写、聖書を踏まえた描写やなんやかや総合的に観念的。

森茉莉「気違いマリア」
森茉莉には熱烈な愛読者が多いがわたしは苦手で、今回も途中からナナメにして読んだ。生理的に無理なのだ。下宿の洗い場が汚いのだとか嫌悪してるその詳細をいちいち書き込んでるのが読まされる身にも勘弁してくれという感じだしそのあとの「わたし令嬢育ちだけど案外さばけてるのよ」「敬愛する父が変わっていたのだから娘たるわたしも当然キチガイなのよね」式文章も読んでいて苦痛なだけだ。

阿部昭「鵠沼西海岸」
障害のある兄を持った弟(現在は大人)が少年時代のことなどを思い出したりしつつ手前勝手なことを延々語る話。最後に初恋の相手の女性からピシャッとした返事がくるので多少胸がすくが、どこまでも自分中心の思考でしかなく、これのどこらへんが「短篇の名手」なのか、よくわからない。少年時代の、他人に自分の家の中のことを知られたくないという感情はわからないでもないが、大学生になった年にその兄が亡くなって、三十過ぎの現在はあまり幸せでない状況に陥っている。それを、いまさら初恋の少女に手紙を書き、「彼女に会いに行くことで、僕はこの不幸から抜け出せるような気がしていたのだ。それに、おかしなことだが、僕は彼女のほうでも僕のこの人生の出発を辛抱づよく待っていてくれていると思い込んでいたのである。」とあるんだから、呆れるばかりだ。1969年に書かれた話。この作品の良さが全然わからない。
 
三木卓「転居」
最初薬屋さんの女店主の話でそれがらみの展開があるのかと思ったらそれはそこまでで、引越しのために近所の商店街をまわって集めた段ボールを自分の狭いアパートの部屋に運び入れたあたりからちょっと雰囲気が変わってくる。荷造りするために書棚や押し入れの中にしまってあったものたちを出していくと、それはすなわちそのモノにまつわる過去の出来事やなんやかやが連想的に思い出されて、そしてそれはこの主人公にとって全然楽しいことではないというかむしろ苦しい悲しいものらしかった。

日野啓三「天窓のあるガレージ」 ★
反抗期の少年の「城」は家の横にある車を留めなくなったガレージだった。父親との反抗期特有の会話とかが(いまやどっちの気持ちもわかるから)親って大変だなあ、でも思春期って少年自身もしんどいよね、としみじみ。おとなになってしまえばあれはなんだったんだという焦躁の日々。蜘蛛の描写がちょっと思わせぶりで妙な色気があって面白い。なんでかなあと考えていたら梨木香歩『家守綺譚』に出てくるカラスウリの話で家守の主観に入れ替わっていたというエピソードを連想させたからのようだ。

清岡卓行「パリと大連」 ★
パリをモデルに作られた町・大連で育った著者にとってパリを歩くことはいたくノスタルジーを刺激される体験であったという話。植わっている木のことを役所に聞きにいって、それが日本の槐(エンジュ)だったことで、不思議な感動を覚えたという話が良い。

後藤明生「しんとく問答」 ★★
大阪府八尾市の遺跡を訪ねたルポっぽい内容で、「写ルンです」という固有名詞が頻出する。文学散歩などが好きなので、歴史散歩の細かい具体的な描写(道を尋ねたときの相手の反応とか、フレームにうまく対象物が入らなくて四苦八苦するさまなど)なかなか面白かった。

村上春樹「レキシントンの幽霊」 ★★★
村上春樹の単行本で既読で、好きな話である。あらためて読んで、やはりこれだけ群を抜いて好きというか、別格というか、次元が違うような新しい時代、みたいなものを感じた。まあ日本じゃないっていうのもあるんだろうけど。舞台が日本で日本人の友人の家の留守番をしたときの話だとしたらと想定すると全然違ってくるよね。そういえば小学生のころ読んだ学研の『ゆうれいとおばけの不思議』とかいう本(タイトルは不正確)に「日本の幽霊は単独で、外国のそれは複数で出ることが多い」って書いてあったような記憶が……。っていうかもし外国でもたとえば先祖ひとりの幽霊が主人公の枕元に立った、とかいう話だったらまた全然違うわけで。
あとこれ、完全に「夢だった」という読み方も出来るんだけど文中の語り手はその可能性にはいっさい触れないのはもう絶対的に自信を持って「現実」だからなのか。
なにげに犬のマイルズ君が存在感あるというか、可愛い。夜中に水を飲みに起きたらそれに気づいて「嬉しそうに」身を摺り寄せてくるとかなにそれその超絶可愛いケナゲな存在!って感じ。坂田靖子『バジル氏の優雅な生活』に出てくる変わり者の友人宅の盲目の犬も同じ名前なんだけど、偶然かなあ。