2014/01/09

問いのない答え

問いのない答え
問いのない答え
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長嶋 有
文藝春秋
売り上げランキング: 10,186

■長嶋有
表紙に人物の絵がたくさん描いてあったから、そういう小説なんだろうと構えてはいたけれど、実際読んでみるとそのとおり、たくさん人が出てくる話で、しかもその一人一人についての書き込みが異様なくらい薄いというか少ない、明らかにそういう意図をもって書かれた小説だった。
例えば最初のほうである女性が夫を略奪されて離婚に至ったと友人に打ち明けるシーンがあるので、ふつうの小説を読む感覚で、相手の女の名前などをいちおう記憶に置いて読み進むわけだが、この問題については最後まで読んだけれどもこれ以上の深入りはない。離婚した女性はそのあとも何度か顔を見せるけれども(という言い方が正しいのかどうかわからないが、様々な人物の様々なシーンがアトランダムに次々につながれていく「いま」「どこで」みんながそれぞれどうしているかをひろーく、俯瞰で、「神の視線で」見たような小説だから)、直接その件にはもう言及がないし、その夫や相手の女は出て来ない。出て来られても不愉快なだけなのでよかったけど、そうか、あれはもうあれで終わりだったのか、とちょっとびっくりした。

そういうふうに、ツイッターで同じ言葉遊びに参加している仲間たちのそれぞれの人生の一場面あるいは数シーンだけを、前後の説明や背景などは最小限にして書いてある、のだと思う。それぞれの主観の区切りが数行とかで、共通する生活用品や景色などからしりとりのように繋いであることもあり、ふつうに続けて読んで、前の文と次の文で主語が変わっているのでああこっちは別のひとに変わったのかと気付く。行開きなどはないので、最初は戸惑ったけれど、そのうち慣れた。ツイッターをやらないのでわからないけど、こういう感じがあるのかな?
でもたまにひとりの主観で長く書いてあり、数ページ同じ人の思考言動が続くとさすがに感情移入しやすく、この違いはなんだろうと考えたりした。

いちおう、章があるのだけど、章の区切りは改ページとかは無くて●という黒丸があるだけ。章タイトルは目次と、あとは本文には無くて脚注みたいな?ページの下の方に書いてあるだけ。●が章の区切りなのにそこに章タイトルは書かれていない。変わってるー。
光/帰る/マジカルサウンドシャワー/問いのない答え/フキンシンちゃん奮闘する!/Antediluvianisch(ノア洪水以前の)/ダイナモ/真円でないもの/点と点と点

誰が主人公でもない話。小説家のネムオというおじさんが出てきて、いつもどおり彼の話なのかと思ったらそうじゃなかった。
印象に残ったキャラクターは、サキさん、少佐、フキ子ちゃん、被災地のJK(女子高生という意味なんだって!なんじゃそりゃ)一二三ちゃん、植木職人じゃなくて庭師というのらしい女性クニコさんなど。
フキ子ちゃんというのは長嶋さんがマンガソフトで描いた『フキンシンちゃん』で、ネットで数話見たことがあるだけだったので、そのイメージとはちょっと違って(こんなにいろいろ考えてたのか!)、「CGみたいにかわいい」とか出てきて笑っちゃった。サキさんというのは新人作家で共感はしにくいキャラだったけど、たくさん長く出てきていろいろ考えていることも読めたので。ちょっと柴崎(友香)さんを連想しながら読んじゃった。だって長嶋さんとよく対談してるみたいだし。少佐はハンドルネームで、朴訥とした飾らない正直な人柄が良いなあと思った。もちろんシャア少佐からきているんだけどキャラは全然違う。植木職人の女の人はなんか、落ち着いた知性的で上品なひとでお知り合いになれたらいいなという感じ。素敵な女性でかっこいい。手に職があって毅然としているところ、背伸びしていない感じがいい。

帯に「なにをしていましたか? 先週の日曜日に、学生時代に、震災の日に――」とあったから、震災後のことを書いた話かとも思っていたのけど、むしろ秋葉原の無差別殺人事件のほうが多く出てきて意外。なんとタイトルもそこからなのだ。あの犯人は、問われてもいないのに「答え」だけを出したのだという解釈。うーん。
あらためてあの事件についてネットで検索していくつかのまとめサイトを見たんだけど、やっぱり異様に理解不可能で怖ろしい。この小説では他にもいろんな「忘れないようにしている」事件についての記述があり、つらいものばかりで、「ああああ」と思った。忘却は人間の最高の精神安定剤なんだぜ?

本作は、いままでの長嶋さんの作品の雰囲気とまたちょっと変わったなあという気がする。
たくさんのひとが出てくるけど群像劇、というのとは違う気がする、こんな小説いままでほかにあったのかなあ。新しい、小説だ。それぞれが少しずつしか書かれないけど、そのひととひとのネット上でのつながり、言葉と言葉が積み重なっていくこと、人間のつきあいってなんだろうなと思う。実際会うからこその絆みたいなのがあるような気もするが、会わないからこそ言えることとか、ネット上のつきあいならではの結びつきもきっとあるのだと思う。これはツイッターはしたことがないけど、むかし、ブログがまだ無くて、個人ホームページがもっと盛んだったころにそのBBSで交流していた実感から言える。いまはそれがもっとリアルタイムで濃厚なんだよね、たぶん。

この小説にはいろんなひとが出てくる。真面目なひとも、ちゃらんぽらんなひとも、好感をもつキャラもその逆も、だけど最後まで読むとなんだか、みんながしあわせであるといいな、というか、あったかい気持ちだ。
みんな生きてる。

装丁は野中深雪、装画はしりとりコ(ウラモトユウコ・鶴谷香央理・オカヤイヅミ)。こちらで表紙イラストの制作過程が見られるよ!

あと、長嶋さんの小説を読んでいるといつもオタクっぽい知識というか雑学というかサブカルのこととかがさりげにたくさん盛り込まれてて勉強になる(?)んだけど、今回面白いなと思ったのは円周率3.14で実際に図形を描くと真円ではなく57角形になって、でもそれは肉眼ではマルに見えて、ペンタコンタヘプタゴンという名前もあるというやつ。ペンタゴンという言葉のなかにいろいろはさまっている感じで、面白いなあ。