2013/06/20

絶叫委員会

絶叫委員会 (ちくま文庫)
穂村 弘
筑摩書房
売り上げランキング: 11,361

■穂村弘
本書は、「ちくま」に2006年4月号から2009年12月号にわたって連載され、筑摩書房から2010年5月に出た本が文庫化されたもの。
凄いタイトルだな、と期待でどきどきしながら読み始めると、第1回の冒頭にこうある。
 「絶叫委員会」では、印象的な言葉たちについて書いてみたいと思います。

穂村さんのいままでの人生の中で出会った、「?」や「!」な言葉たち。それをゴシック体で紹介し、何故そのセリフが印象に残ったのか、ということを状況から放たれるパワー、雰囲気、つまり行間ひっくるめてとても丁寧に説明してくれてある。
衝撃を受けたり、にやりとしたりしながらとても面白く読み、気に入ったところはまた戻って目でなぞってあれこれ考えたりして、さてそういう台詞をここで引用しようとして「単体」で見つめ直して「あれっ」と思った。さっき感じた面白さが100とすると、単体のそれは50とか60の輝きでしか無い。びっくりして前後の穂村さんの文章を読む。おお、何度読んでもじわじわ面白い。
例えば、以下のような部分。

 「怪人二十面相はこんな油断しないと思うんだけど、でも、江戸川先生が書くからには本当なんだろうね」
  怪人二十面相シリーズの一冊を読んだ知人の感想である。突っ込みどころが多すぎて、わなわなしてしまう。


「 」内よりも、わたしは「突っ込みどころが多すぎて、わなわなしてしまう。」に激しく反応してしまう。特に「わなわな」のあたりに。「わなわな」! ああ、知ってるけどこれリアルにあんまり使わない、っていうか機会が無い。面白い言葉だ!ぜひ使いたいものだ!と身もだえする。
そうか、このエッセイが面白いのは「紹介されている言葉」が面白いんじゃなくて、それを蒐集し(昨日今日の付け焼刃の関心ではないことは本書を読んでいると明らかになっていく)、愛でている穂村さんそのひとこそが、超面白いのだ。流石ほむほむ!
同じような意味のことを解説の(南)伸坊さんも書いておられる。

それにしても、「絶叫委員会」というタイトル、「絶叫」というのはかなり強力なインパクトを与える言葉だと思うが、本書のトーンは一貫して淡々とクール、静かなものである。何故「絶叫」なのかなあ、とか思っていたら筑摩書房HPに本書のPR文があった。「解説」によれば、南伸坊が編集者に打診されてそのときは穂村さんの著作を読んだことがなかったので断ったという例のやつである。誰が書いたのかと見たらうわあっ。我が敬愛する堀江敏幸ではないか! 「ちくま」編集部は伸坊さん→堀江先生にいったのか~スゴイな~。
堀江先生の紹介文はこれまた次元が高くて高尚で、本書をうはうはヨロコビながら愉しいだけで読んだオノレのちっぽけさを噛みしめさせる知性にあふれていた。そうか、そういうふうにも読めるのか。
そういえば第1回で取り上げられた「言葉」にこの短歌があった。

 「俺の靴どこ」が最後の言葉ってお母さんは折れそうに笑って

「笑って」という言葉にダマされそうになるがこの句の「俺」はまだ少年なのだという。剣道の試合の後倒れて、亡くなったのだそうだ。その「最後の言葉」について「折れそうに」「笑って」いる「お母さん」。なんという悲痛な「笑い」であろうか。母親の悲しみ、断腸の思いが痛いほど伝わってきて、そうだ、最初っから物凄い衝撃を受けたのだった。
おそらく全篇このレベルのトーンで編まれていたら「絶叫」どころか「咆哮」し、最後はどっかで爆発してしまっただろうが、安心されたし、他のほとんどのテーマはもっとソフトで脱力系だ。小学生の下ネタとか、若者同士の「動物」っぽい他愛ない会話とか、恋人同士の第三者がうっかり聞いてしまうと恥ずかしすぎる会話だとか、「天然」とよばれるひとたちの「突っ込みどころが多すぎる」発言とか。
ただ、そういう他愛ない言葉たちの、やわらかな羽根ぶとんを何枚も積まれて忘れそうになっていたが、その一番下には「折れそうに笑って」というエンドウ豆が置かれていたのだった。「本当のお姫様」である堀江先生はそれをきっちり感じ取って、「眠れない」。
言葉も、作品も、受信手のそれぞれで、どのように受け止められるかは実は送信手にも決められない。だからときに思いもよらないドラマが生まれるんだろう。