2013/06/01

短歌の友人

短歌の友人 (河出文庫)
穂村 弘
河出書房新社
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■穂村弘
久しぶりの「ほむほむ」。
単行本は河出書房新社から2007年12月に上梓。この文庫版は2011年2月刊。
穂村さんの著作は2000年から2005年くらいのときにマイブームがあって、短歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001年)『ラインマーカーズ』(2003年)、歌論集『短歌という爆弾』(2000年)、エッセイ『世界音痴』(2002年)『もうおうちへかえりましょう』(2004年)『現実入門 ほんとにみんなこんなことを?』(2005年)『本当はちがうんだ日記』(2005年)、『ぼくの宝物絵本』(2010年)、共著(沢田康彦、東直子ほか)『短歌はプロに訊け!』(2000年)『短歌があるじゃないか。一億人の短歌入門』(2004年)をすべて単行本で既読で、NHKラジオ「土曜の夜はケータイ短歌」(2008年3月終了)に選者として出られてリスナーからの投稿短歌について語られるのとかも聴いていて、本書もその延長線上の雰囲気だと思って何気なく買って読み始めたら、そうじゃなかったのでびっくりした。
吉野朔実の漫画にも登場する穂村さんは、レンズの入っていない伊達メガネをかけ、のぼーっとしているようで知的で軟派で、それでかなりの「変人」、というイメージがあってエッセイとか読む限りではそう間違ってはいないと思うのだけど、これはものすごく真面目な、真剣勝負の歌論集だったのだ。現代短歌論。近代短歌についても比較材料として少々。気軽に楽しむ、というのとは違うけれど、すごく丁寧に説明してくれているので、素人でも興味を持って読むことが出来る。

最初、「はじめに」を読んで、巻末の初出一覧をながめ(ほとんど短歌の専門誌)、それからぱらぱらと紹介されているいろんな現代歌人による短歌を読んで、変わった短歌ばっかりだなあ、と喜んだりして、気になった歌の章を先に読んで、「解説」を読み、あらためて頭から少しずつ通して読んでいったが、紹介されている短歌が難しかったりすると一度普通に読んだだけでは呑み込めなくて、二度三度文章をなぞったりした。しかし散文と違って、わからない歌は最後までよくわかっていないのだと思う。特に、掲載誌が新聞とかのはそうでもないけど、後半の短歌専門誌に載った評論なんかは難解度が高い。短歌と酸素の濃度の話とか。この「酸素」というのはもちろん比喩なのだけれども、読んでいて書いてあることはまあわかったけれど、じゃあここへポンとなんらかの短歌を置かれて「これは酸素濃度が高い作品か、逆に酸欠なのか」と訊かれて正解を答えられるかというといまいち自信が無いなあ。
近現代短歌の肝は「かけがえのない私の一度きりの人生」なんだという解釈も、わかるようで、うーんそんなオールマイティなというか、それはむしろ当たり前すぎて声高にわざわざ言うとナルシストみたいだとか逆にそこまで詠み込んであるのばかりだろうかという疑問とか、いろいろ。例えば『サラダ記念日』は恋愛、とかじゃないの?って思っちゃう。そりゃ「かけがえのない私の一度きりの人生における恋愛」っていう解釈が出来ないはずはないんだけども。

韻文というのは作者が思いを「圧縮」しているので、読み手側にそれを「解凍」する能力が求められる、それが短歌とか俳句とか詩なんだそうで、深くうなだれつつ実感するところである。こんな調子であるから、「読めた」と思っているものでも「実は全然読めてなかった」ことは十分あり得る。穂村さん曰く歌人の「読み」と一般人のそれとではやはりレベルに差があるらしい。本書は、プロがプロの作品をどのように「解凍」していくのか、その実例の一部で、たいへん勉強になるし、面白かった。
ひとりのひとが書いているので、気になる・教材として例に出しやすい短歌というのは限られてくるらしく、複数の章で頻出する短歌がいくつかあり、切り口によっていろいろ読むところがあるということだなあとか。

解説は高橋源一郎。タイトルに反応して「友人論」を延々やっている。
なお、「はじめに」によれば『短歌の友人』というタイトルは担当編集者が付けたもののようである。