2012/11/09

貴婦人Aの蘇生 【再読】

貴婦人Aの蘇生
貴婦人Aの蘇生
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小川 洋子
朝日新聞社
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■小川洋子
前回読んだのは2004年。『博士の愛した数式』に感動し、著者の著作を他も読みたい・全部読みたいと「wktk」していた頃だ(ああいま、安易な表現方法に逃げちゃったなあ。わくわくてかてか)。要はまだ「未知の世界」に対して、楽しみで、テンションが上がっていて、好奇心いっぱいに探検しようとしていた時期。気持ちの受け入れ体制がかなり前のめりの状態で読んだ、ということだ。

当時は著作のほとんどが絶版で、その多くはネットの古本屋でないと入手が難しかった(本書は2002年の刊行だったのでまだ新刊書店で求めることが出来た。そのすぐ後に第1回本屋大賞受賞でブレイクし、過去の著作も文庫で容易に入手可能になったのは喜ばしいことだ)。

小川洋子はわたしの中で「好きな作家」の最上位グループに属し続けている。文章、文体、世界観への信頼感。
今回久しぶりに読んで、漠然とした記憶と印象よりもずいぶん「気持ち悪い」描写が故意に細かくねちっこく書き込まれてある作品だったのだなあと思った。まあこの作家はずっと昔からそうだし、今も変わらないのだが。

この物語の語り手は女子大学生だが、ほとんど無色透明な存在で、黒子に徹している。彼女の母親の年の離れた兄(主人公から見ると伯父)と彼が壮年期に結婚したロシア人の年上の妻、つまり伯母のことを書いた小説である。

伯父は本書の冒頭時点で故人になっているが、彼の趣味に動物の剥製の蒐集があり、それらが物語の中で大きな存在感をはなつ主軸になっている。
もうひとつのテーマは皇女アナスタシア(伝説)。ユーリ伯母は実は歴史的惨殺を逃れたロシアのロマノフ王朝の生き残りの王女では、という説が物語の途中ある人物から発信され、主人公の視点から読んでいると「んなわけない」というスタンスなのだが、それなのにずっとずっと読んでいるとそのへんの境界がおそらくわざとだろうが究極に曖昧にされていくのである。肯定は最初っからされていないのだが、「でも完全に、絶対的に否定することもできないのでは?」という空気、そもそもそういう「旗印」ってこういう、周囲の認識で「作られていく」ものじゃないか、本物との違いってなんなんだろうと考えさせられるような。

主要人物として登場するのは「私」と「ユーリ伯母」と私のボーイフレンドの「ニコ」、剥製マニアのフリーライター「オハラ」。そのほかに多くの剥製たち。

オハラというのは日本人の小原という胡散臭い男なのだが、最初の登場のときに名乗り、地の文でしばらく「男」と表現されたあと、突然「オハラ」と表記され(あまりにも人物にそぐわないハイカラさで思わずびっくりして前後を見直してしまった)、そしてそのあとはずっとそのままである。オハラといえばスカーレット・オハラを連想してしまうが、この男と『風と共に去りぬ』を関連付けるものは(たぶん)無いと思うのだが……。
小原が書く文章上の彼と、「私」視点の彼があまりに違う、そのギャップも興味深かった。