2008/01/03

桑の実

桑の実 (岩波文庫)
桑の実 (岩波文庫)
posted with amazlet on 08.01.02
鈴木 三重吉
岩波書店 (1997/06)
売り上げランキング: 310762

■鈴木三重吉
数ヶ月前に購入して本棚にさしたまま半分忘れていたのを正月の暢気さゆえに見付けて読むことにした。
表の筋書きに主人公の「おくみは恋をする。しかし恋ともいえぬ淡いものである。」とあるが実際読んでいくと本当に「恋ともいえぬ」ものでしかないと言うか、この慎ましやかな敬愛の情を「恋」という単語でくくってしまうのはいささか乱暴ではないかなあ、という気がする。

明治末か大正頃の東京。
若い身寄りのない娘であるおくみは頼まれて臨時でとある洋画家の家にいく。この時代はまだまだ階級がきっちり線引きされているようで、今ここで彼女を「お手伝いさん」と容易に言えないのはそのためだ。お手伝いさんといえばこの時代は女中のことだが、おくみは下働きの女や婆やよりも主人から上の扱いを受けていて、場合によれば主人たちと同じテーブルで食事を取ったりすることもあるからである。ただしそれはあくまでも主人側の厚意によるもので、本来おくみはそこでは給仕に徹するべき立場のようだけれども。
この厚遇は主人と、おくみの雇い主であり親のように面倒をみてくださっているおかみさんとが対等な立場であって、小さな息子を抱えた洋画家の婆やが急に辞めることになったので急遽おかみさんがおくみに手伝いに行ってやれないかと頼んだ、というような経緯があるからかもしれない。しかもおかみさんは本来彼女はそのような仕事をする立場ではないので出来るだけ早く次の代わりを見つけておくみを手元に戻したいと繰り返し言う。
まあ、あえていうなら昔の住み込みの家庭教師、くらいの立場というのが一番近いのかなあ。ただし、他にお手伝いさんがいるような大きな家ではないので、家族の食事をはじめ家事いっさいをおくみがひとりでこなさなければならないのだけれど。扱いが、あんまり使用人ぽくないのだ。作品全体の雰囲気が穏やかでこせこせしていないのはこのへんも影響しているのかな。

しかしこの話を読み始めてすぐびっくりしたり感心したりしたのは、この話の視点がおくみであり、だから登場人物のほとんどが目上の人にあたるため、現代の感覚からするとくどいくらいに徹底して敬語、尊敬語が貫かれていることだ。
まだ幼いご主人の息子の言動に対してもきっちり、敬語。それも「坊っちゃんがおっしゃった」とか「めしあがった」とかそういうレベルならまあ驚くことはないのだけれども例えばこの坊やが父親の弟である洗吉叔父さん(大学受験のために上京しているというからまだ青年だ)に遊んでもらっているときにご機嫌を悪くしてぐずっている様子を描いたシーン。
 
  坊ちゃんはさっきから、洗吉さんに相手になっておもらいになって、六畳でふざけてお出でになったが、見ると、どうしてか忿ってはたきを振り上げて手向いをしていられる。
  「坊ちゃん、もうお止しなさいましな。御覧なさいまし、叔父さんがあんなに泣いていらっしゃいますのに。あなたの方がお強いんですから、もう怺えてお上げなさいましな。――ほほほほどうしたって仰るんでございましょう。」
  洗吉さんは泣く真似をしてお出でになる。


なんという可愛らしい日常のひとこまであろうか、と微笑むと同時に読んでいて襟を正したくなる。”美しい日本”とはかくなるものであったろうか、非常に勉強になる。この文を読んでもわかるように、まだ頑是無い坊ちゃんに対してきっちり身分を弁えた言葉遣いをしているおくみだが、それは「甘やかす」こととはまったく別のことであるというのもきっちり心得ていて、諌めるべきところではちゃんと叱っているのも美しい。
奢らず、怠けず、かといって卑屈になりすぎもせず、慎ましやかに控えている主人公のきっちり筋の通った姿勢を読んでいると非常に清々しいのだ。

基本的に悪人は出てこず、人情のややこしいもつれも遠くにぼかして書いてあるだけで物語は山も谷もなく穏やかに過ぎてゆく。解説によればこの小説が書かれた当時、著者は実生活でいろいろ苦しんでいらしたようだがそれだからこそこのような徹底した理想主義的世界を構築したのであろうか。
ふとんの襟をといてあらう。着物を洗い張りにする。蚊が出れば蚊帳をつる。行李に着物を仕舞う。袴を衣桁にかける。家の中の、日々のこまごまとしたものもきれいで美しくて素晴らしい。
お正月にいいものを読めて良かったな。