2007/11/26

仏果を得ず

仏果を得ず
仏果を得ず
posted with amazlet on 07.11.25
三浦 しをん
双葉社 (2007/11)
売り上げランキング: 272

■三浦しをん
『あやつられ文楽鑑賞』のイベントの際に予告されて以来楽しみにしていた文楽の小説。
主人公は三十歳の若手大夫で、かなりコテコテの大阪弁を喋る(上方の落語家さんが喋るような言葉遣いをする)のでまず出だしから「お? 珍しいな」。生まれ育ちは関東で、本場が大阪だから意識的にこの喋り方をしているということらしく、テンパると東京言葉に戻っちゃう、という設定だ。
メインになっているイントネーションが関西弁か標準語かというのは作品全体の雰囲気に無関係ではないのだな、ということをあらためて実感した。そりゃ当然意識的にユーモラスに書いているのだろうけれど、関西弁で畳み掛けるようにストレートな言葉がぽんぽん飛ぶその一見乱暴だが底意の無いやりとりを読んでいるとなんだか無性に面白いだけでなく、どこかしら安心できるのだ。ほっこりして、思わずにやにやしてしまう。

 大夫と三味線の最長老が、そろって決めたこととなれば、健はもとより、兎一郎だって否と言うことはできない。ところが健の予想に反し、兎一郎は「お断りします」と毅然として言った。
「俺は、特定の大夫と組むつもりはありません。来月の公演だけにしてください」
「あほう!」
銀大夫が八十歳の老人とは思えぬ俊敏さで立ち上がり、扇子で健の頭をしこたまはたいた。
「なんで俺を殴るんですか!」
健が抗議すると、銀大夫は仁王立ちのまま肩をいからせ、
「俺の弟子やからや!」
と言い放った。
「そんな無茶苦茶な話がありますか」
健は脳天をさすりながら、難を逃れた兎一郎を恨めしく見やる。兎一郎は微動だにしていなかった。


――ちょっと引用が長くなってしまったが、本書の主要登場人物の位置関係・雰囲気をこの一節でもかなり読み取っていただけることと思う。とにかく、楽しい。面白い。ノリが"関西"である。主人公は天然で大ボケをしょっちゅうかます頼りない優柔不断男だが、師匠で人間国宝の銀大夫はもっと我が道をゆく天成のボケなのでツッコまないわけにはいかないという図式になっている。
漫才ではない。これは大真面目なシーンだ。銀大夫は真剣に怒っているし、兎一郎だって悪戯や反抗で断っているわけではない。若輩者の健にふざけている余裕など勿論、無い。
にもかかわらず、おかしい。
おそらく涙目になっているであろう健、真っ赤な顔の銀大夫、背筋を伸ばした兎一郎。
実に鮮やかに脳裏に浮かぶのだ。
そして彼らの間にある絆――信頼、敬愛、重ねてきた年月なんかも、ごく自然にするりと伝わってくる。
こういう人々が活き活きと動き回り、著者の文楽に対する考え方、情熱が行間からあふれ出しているのが本書だ。
あったかくて、愉快痛快なのである。
うまい。


学生時代から文楽にのめり込み、国立劇場にしょっちゅう足を運んでいるというしをん氏だが、この著者ならではの率直な疑問やその後に得た解釈などが本書には随所に描かれていて、単純にスジだけ追っただけではその真髄がわかりにくい文楽の魅力を伝えてくれている。
もし「文楽」に興味がなくても、主人公の仕事上の迷いや恋愛エピソードなどもあるから、普通に青春小説としても読めると思う。

なお、本書の挿画は勝田文さん。好きな漫画家さんのひとりなので、嬉しい。
松昭教さんによる装丁もかなり凝っていて楽しい。目次の仕組みなど、思わず歓声を上げてしまったわくわくモノだ。
こればっかしは、文庫ではできないだろうからなあ。