2007/11/14

間宮兄弟

間宮兄弟 (小学館文庫 え 4-1)
江國 香織
小学館 (2007/11/06)
売り上げランキング: 600

■江國香織
生活センスは良いんだけれど世の中の流行やなんかからは遠くへだたっていて、有体に言って非モテ系、ちょっと世俗離れした仲良し兄弟のほのぼの話、と読む前から聞きかじりの情報でもって推測していて、実際読んでみてもほぼそのとおりであった。
しかしなんだかそれだけでは収まらないものすごい違和感というか、しゃらくせぇなという感情がどうしてもあって、結果的には「ほのぼの」からはほど遠い。

確かに巧いんだけど、その巧さは知っているからあえてこういう話を書いちゃう著者のねらいはどこにあるのかなとか、そういうの考えてしまってぐるぐるしちゃうというか。

設定そのものはすごく好きな筈なのになんでこんなに不愉快なんだろうかとずっと考えていた。
そしてひとまず出した結論はこうだ。
「それは彼らがちっとも変わらないからだ」。

むろん、変わることがすなわち良いことではない。
「変わらないこと」が良いってこともたくさんあるし、むしろ積極的に「変わらないように努めて」それが素晴らしい、ってこともたくさんある。
だけどね。
『間宮兄弟』の変わらなさはね。
周到極まりない著者によってきっちり決められた「変わらなさ」なんだよね。
良い所だけじゃなくて悪いところも全部全肯定して「大丈夫だよ変わんないよー」って書いてあるのがこの小説なんだよね。

        *   *   *

ネットでちょっと調べたらこの兄弟を肯定する読後感想ばかりがいっぱい出て来た。
「間宮兄弟良いよね」「恋愛対象には絶対なんないけど」「でも人間としては好きだ」というのが多くの見方のようだった。
私もそうは思う。

でも、著者はそう思ってこの話を書いているんだろうか。
――そう、穿った見方をしたくなるのはこの話においてその他の登場人物はすべて何らかの成長を遂げているからなのだ。

この小説には30過ぎの兄弟二人と、それにちょっと関わった若い女の子、大人の女の人、夫婦、なんかが出てくる。兄弟以外の生き方描かれ方はいわゆる「いつもの江國香織」の小説に出てくるようなひとびとで、そして彼ら彼女らはお話の中で何らかの変化を越え、まあだいたいにおいて成長あるいはより良い方向に足を踏み出していく。

間宮兄弟だけが「変わらない」。

「変わらない」と言ってしまえば聞こえは良いが、逆に言えば「何の成長もしていない」のである。経験から反省して行いを改めるなどの改善がほぼ見受けられないのである。

明らかな欠点が、事細かに、すごくリアルに描かれていて、その巧さに唸ってしまうほど巧い、その欠点が「変わらないまま」、「でもいーんだよー間宮兄弟みたいなのっていーよねー和むよねー」という空気のままま物語は終焉を迎えるのである。

「読んでほっとする」という意見もたくさん見受けたが、そりゃ、こういうダメ系をそれでも「良し」とする空気は甘くてぬるくて安心だろうよ、でもそこで安穏としていて良いのだろうか? 私の見方がひねくれているだけなのか?

もちろん欠点のいない人間なんていないし欠点っていうのが性格に基づく場合早々簡単に直せるもんじゃないことくらいは承知している。
だから私が引っかかるのはこれをこういうふうに書いて出しちゃう著者のスタンス、その一点なのだ。
巧すぎる、狙いがきっちり通されている、ああしゃらくさい(笑)。
つまり私はこの著者と「合わない」っていうことなんだろうなあ。初期の作品群には昔すごくハマってたんだけれども。

というわけで、ひねくれ者の私は小説『間宮兄弟』はあんまり好きになれなかったんだが、「間宮兄弟」そのものはたぶんそれほど、嫌いではない。