2007/08/05

アサッテの人

アサッテの人
アサッテの人
posted with amazlet on 07.08.04
諏訪 哲史
講談社 (2007/07/21)
売り上げランキング: 115

■諏訪哲史
「おじさんの存在感が体温をもって伝わってくる」という小川洋子さんの選評をラジオで耳にし、「おじさん」と「小川洋子」で『博士の愛した数式』を連想し、なんだか久しぶりに波長の合いそうなのが芥川賞に来たな、と思った。作中に出てくる「ポンパ」という言葉もトンパ文字みたいでなんだか可愛い、装丁も格好良い。というわけで。23日発売を見逃して27日に買ったら既に第2刷だった。ちょっと悔しい。

いわゆる小説らしい小説ではなくて、作中にしょっちゅう書き手が顔を出し、スタイルがどうの表現がどうのと注釈を垂れる形のメタフィクション。今どき珍しいくらい懐かしい感じの前衛手法を採るなあ、いったいどういうひと、と思わず最終ページの著者履歴を確認してしまった。

高い給水塔のある2階建てのアパートが建ち並ぶ団地の一室から「旅に出る」という連絡があった後消息を絶ってしまった叔父。叔父と言ってもまだ二十代の書き手が小学生の時に高校生だったというくらいしか年齢は離れていないから読む前に想定していた「おじさん」像と比べると随分若い。
作中に登場する書き手は叔父の残した数冊の日記や自身の記憶、これまでに書きためた同人物に関する草稿を元に小説「アサッテの人」を合わせ絵のように綴っていく。

ごく日常的な会話の流れの中でいきなり「ポンパ」などの言葉を発しその場の空気を凍らせるという奇行のあった叔父。これをして書き手は「アサッテの人」と称するのだがその出典は叔父自身の日記にある。幼い頃悩まされた吃音、二十歳の時、突然それが治るのだがそのことによって世界は彼の望んだようには変わらなかった。彼は失望する。そして、世の中と自分自身のフィルター的な役割を果たしていた「吃音」に代わる処し方として考案したのがすなわち「アサッテ」であった。その成り行きを読み進むにつれ己の発する言葉でもって世の中と対峙するということにこの人物がどれほどの(苦悩・こだわり・違和感)を抱えていたのかが読者の前に明らかになってくる。

前衛的なスタイルに変わり者の叔父。――と来たので相当ぶっとんだ話かもしれんと思い、とんでもないところへ連れて行かれることに身構えながら読んでいったのだがおよそ拍子抜けというか、ごく大人しく話は纏まったまま終焉を迎える。こういう形式の純文学にありがちなちょっと置いていかれる感がなく、こちらの心に自然に叔父さんと語り手の気持ちが沁みてきて、ちょっと悲しく、ちょっと切なく、――そしてしみじみと、いとしく想う。

これは普通の小説の書き方をしたならばもっとセンチメンタルなポエティックな小説になったような気がして、ばら撒かれたエピソードもとても好みに合うものばかりだったからそれはそれでどっぷりと嵌れる作品に仕上がったのではないかと思うが、著者はそのようなストレートな感情移入を排するためにあえてモデルと作品の間に一定の距離を設けたかったのだろうか。

群像新人文学賞と芥川賞のダブル受賞は村上龍以来の驚異らしい。諏訪氏の次なる作品が楽しみだ。