2005/09/26

千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠し (通常版)
■スタジオジブリ/宮崎駿
ふだん映画館に足を向けない私を呼んでいる、と感じた映画だった。
観たいというよりは、観なくちゃ、という意識の方が強かった。
とはいえ相変わらずの超人気。
夏休み中は混雑しているだろうと思って敬遠。
いつか、いつかと思っていて突然衝動で観にいくことに。
一応予備知識がある頭で観にいったのだがそんなことはおかまいましのおもしろさ。
10歳の女の子が妙にリアルで、例えば階段の下り方だとか、悲鳴を上げるタイミングだとか、泣きそうになっててそこで食べ物を食べたら涙があふれるように出てきて泣きながらでも、食べる、とか・・・
リアルであった。
「宮崎監督はどうして私の気持ちを知ってるの?」
と『魔女の宅急便』を観たとき思ったものだが、やっぱり今回も思ってしまうのだった、どうしてこんなに10歳の女の子を描けるんだろう。

この話は私にとっては「両親と女の子」の関係が変わっていく話であった。
どこにもそんなこと書いてないのかもしれないけどそういうふうに私は観た。
両親を助けるために頑張り始めた千尋がいつしか両親にあげるために取っておいた川の神様にもらっただんごをハクや、カオナシにあげる、そのシーンをみてものすごい衝撃を受けた。
そうして
女の子という存在は10歳にして既に両親よりも大切な誰か、を見つけてしまう、そういう存在なんだなとしみじみ思った。
少年だったらこうはならないんだ、絶対にね。
絶対は言いすぎか・・・でも、たぶん、きっと。
千尋はもう両親から自立しているのだ精神的に。

女の子っていうのは結局
誰か他の人を愛してその人と新しい世界を築く
そういう生き物なんだよね。

この話は冒険ってほどでもないし千尋の成長もそんな極端じゃなく、ただ宮崎監督が「よりによって両親をああいう設定にした」という、そのこと、そして畳み掛けるように豚となった両親をこれでもかと醜悪に描く、その意味は何だろう?
それでそうであっても千となった千尋を救い、守るのは紛れもないその両親からもらった「千尋」という名前なのである。
どういうことだろうか・・・?

千尋は、10歳の少女は、「自分の本当に大切なもの」が何かを知っていなくてはいけないし、それを
同じことを違う誰かに愛というカタチで与える、そういうことのできる生き物になっていく課程、そういう曖昧な立場にいるのかもしれない。・・・うーむ、何を書いてるのかうまく伝わったかな(笑)

まあでも映画の解釈なんてほんっとに十人十色ですので
っていうかそれぞれ特殊な思い入れってあって当然ですし。
『ユリイカ』8月臨時増刊号が「千と千尋」特集なんでして、色んな学者さんだとか俳優さんだとか立場の違う方々が感想なり解釈なりを書かれてるんですけどほんと様々な見方があるなあ、って感心しましたし。でもこれだけ色んなことを喚起させる宮崎アニメってやっぱスゴイですよね、パワーがね。

ハクの瞳がひたすら美しかった。