2003/07/01

日はまた昇る

日はまた昇る
アーネスト ヘミングウェイ Ernest Hemingway 高見 浩
新潮社 2003-06


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■ヘミングウェイ
ヘミングウェイと私。高校のときに『誰がために鐘は鳴る』を買って読みかけたもののヒロインの描写に冒頭で「なんかタイプじゃない……」とくじけ、大学んときに『老人と海』を「有名やから読んでおこうか」と読んで「フーン」で終わり、『短編集』でようやく「おお、これは良い味だ、悪くないネエ!」と再読再々読に至る。いずれにせよ、学生時代の話ですな。んでイメージとしては「渋い」「ワイルド」「アウトドア」「壮年」ってなもんだった。――んだもんで、このたび、この本を読みつつ先ず思ったことが「わ、若ーいっ、若い感覚だわ、若者の世界だわ」という驚き。訳が新訳ってことも大きいと思うんだけど、これはヘミングウェイが26歳のときに書き始めた処女長篇なんですから当然っちゃー当然なのだった。なるほどなあ~。

んで、かなり面白いと思ったのが「解説」のエピグラフをめぐる説。
「失われた世代」という言葉を耳にされたことがあるでしょう。これは、この著書のエピグラフの「あなたたちはみんな”a lost generation”なのよね」をlostの第一義で訳したものが定訳となって、アメリカ文学史上の1つのエポックを示す用語のようにまでなったというもの。しかしヘミングウェイの後年の回想録にある前後の会話の状況などから判断すると、むしろこれは「自堕落な世代」と訳すべきである――という内容。そ、そうなのかあ!!!むちゃくちゃおもろいやんか!!!
詳しくは、新潮文庫の解説を読まれたし。翻訳の違いで解釈が変わってくる、というの、すごい興味深いですよね。

この小説はほぼ実話のようです。簡単に云うとある奔放な生き方をする美女を巡る男たちのさやあて模様、ですか。アメリカが禁酒法の時代、闘牛を観にいく話。この主人公は戦争による負傷のため、えー……、子どもを作るための「欲」は残っているのにその「機能」を損なわれてしまっているという設定(ちなみにこの部分は完全なる創作)。おまけに愛する女が存在するの。つ、つらいなあ~。でもそういう設定がいかにも現代文学って感じしますねえ。もうちょっと若いときに読んだら新鮮だったかしらん。