2003/04/09

宮殿泥棒

宮殿泥棒宮殿泥棒
イーサン ケイニン Ethan Canin 柴田 元幸

文藝春秋 2003-03
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■イーサン・ケイニン
柴田元幸翻訳、というのは一種「ブランド」である。少なくとも私にとっては。つまり全然知らない英米文学であっても、翻訳が柴田さんであれば「ああ、お墨付きね」と思えるのだ。というわけで読書中はイーサン・ケイニン著/柴田元幸翻訳『宮殿泥棒』。このブランドでこのタイトルならばまず100%オッケーだろう、と思って――。なのに読み始めると意外にも「あれ?」けっこうつまんないかもしれない(^^;。短編集で、とりあえず冒頭1篇読んで「うーん」。訳者あとがきを読んで「うーむ」。どうやらケイニンのピークがこの作品集らしい。それでコレか……?ううむ、まあ、好みの問題でしょうが。とりあえず映画化されたというラストの1篇には挑戦してみようかと思って数ページ読んでいますがどうも馴染み難いなあ。。。こーゆうこともあるのね。

表題作を読む。結論から言うとこれも冒頭作と同じテーマ。というよりも、この著者の作品はすべからくこのテーマを追求しているらしい。
つまり主人公は優等生。道を外れず、真面目に、地道に生きている。大きな冒険はしないから夢のような大成もしないが、しかしその堅実さ故にそれなりの成功を納めている、という人物。仮にこれを"成功したのび太君"、としよう。
そしてもう一人の登場人物として、粗野で、大雑把で、社会のルールを多少なりと曲げてでも我を通す、周囲を力で引っ張っていくタイプ、すなわち"成功したジャイアン"がある。
お互いに成功はしているんだけれども、のび太の方は、どこかジャイアンに対してコンプレックスがあったり、複雑な心境を持ってしまう。自分の生き方が間違っているとは決して思わないけれども、そしてジャイアンの生き方を無視しようとするのだけれども、どうしても心のどこかで気になってしまう。そしてそういう二人の間に起こった人生のヒトコマみたいなのを書いてあるのがイーサン・ケイニンという作家の作品なのだ。

つまりはこういうテーマが好きか嫌いか、という話になってくるのだが、私はどうも読んでいてツライというかいたたまれない、という風に感じてしまうんである。主人公の気持ちに同情する、同情しつつもどこか嫌悪を感じてしまう。語弊を恐れず云うならば、同族嫌悪に近いのかもしれない。私はのび太はのび太でいいと思う。ジャイアンが気になるのはわかるけど、意識の仕方がツライ。振り回されている精神の有りようがリアルで切実すぎるのだ。つまり純粋に作品としてはこういうテーマはとても面白いと思うし素晴らしいと思うのだが、個人的趣味としては敬遠したい、といったところなのである。

ちなみにweb本の雑誌の読者の文庫本評価ランキングでは皆さん好評をされていた。読んでいて和む、みたいな主旨の感想さえあった。かなり驚かされてしまった。作品を読んで、どう評価するなんてほんとうに個人的なことなのだなあ。私も10年後にはこれを受け入れられるようになっているのだろうか。