2002/10/12

心臓を貫かれて

心臓を貫かれて〈上〉
マイケル ギルモア Mikal Gilmore 村上 春樹
文芸春秋 1999-10


by G-Tools

■マイケル・ギルモア
【1日目】
翻訳・村上春樹。思ったよりハルーキ・ムラカミ色の薄い日本語となっております。そして、カポーティの『冷血』みたいな犯罪ルポ的なもの、あるいはダニエル・キイスの『ビリー・ミリガン』みたいな犯罪心理探求書を想像していたのですが、……どっちもハズれたようです、今のところ……まだ上巻の1/3行ってませんけど。

その実態は。なんと。「モルモン教」の歴史!というかあるアメリカの一家の大河ドラマでもある。どーでもいいけどモルモン教ってこんな宗教だったのか!!コーヒーとお酒呑まなくて、斎藤由貴が信仰してる、ってことしか知らんかったけど。ユタって、ソルトレークって、こんな危ねー土地だったのか!!オリンピックのときこれ読んでたら全然イメージ違っただろうな、などと驚きはイロイロある。しかし、はっきり言って退屈な内容だなあ~。

歳の離れた兄弟、父親の暴力、母親と宗教、モルモン教の発生から前世紀の発展の仕方、そして今読んでいるところでは母の実家の姉妹の暮らし振りなどが延々と書いてあるのです……。これ、小説じゃなくって伝記……なんだなあ。目的は分かった。こういう、細かな事実の描写の積み重ねで「いかに兄は殺人者となったか」みたいな裏付けをじっくり暴いていく、というんだろう多分。そして最後まで読んだら多分大きな感動があるんだろう。しかーし。モンダイは、そこに至るまでが非常に退屈そうだということだー( ̄□ ̄;)。ってゆーか、イヤ、これがくだらんとかつまらんとかいうんじゃなくって。これは評価の高い名著らしいですし、間違ってないんでしょうおそらくは。……ただ、パリッと香ばしいピザとコカ・コーラを求めて店に飛び込んだらそこはロイヤル・ミルクティーとスコーンを楽しむイギリス紅茶専門店だった、という感じなのでした。中断するかもしれませんなあ、これは。
【2日目】

母方の曾祖父母まで遡って語られる。ややこしくなってきたので試しに家系図を書いてみるとだいぶ頭の中を整理できた。引き続き読んでいくとだんだん面白くなってきた。というか、第1部はモルモン教の歴史みたいなのだったのが、第2部あたりから一家のハナシになってきたからかも知れない。あるいはハナから「紅茶」と思って読んでいるからか。しかし全部カタカナの名前なのでややこしい。漢字の名前だったらもっと分かりやすいだろう。やっと上巻の半分くらいまで。
【3日目】
この小説はノンフィクションである。著者マイケル・ギルモアの兄のうちの一人ゲイリー・ギルモアが殺人を犯し、それだけでなくいろいろ物議を醸す言動をして州の犯罪歴史上に名を残すこととなった、原因を探るというか追求していくというもの。背景にはどうやら宗教・土地柄・家系・幼児期の父母の育て方などが絡んでいるようだ。

というわけで今度はゲイリーたちの父母の出会い、父について、そして父の母(主人公の祖母)、さらにその祖母(曾祖父母)までハナシが遡っている。

こう書くと、「大草原の小さな家」みたいな大家族のほのぼのした様子や、マイホーム、アットホームな雰囲気を想像されるかもしれないがそれは誤解であって、実にその「正反対」な世界が延々と描かれるといってよいのである。家族の軋轢、すれ違い、性格の相違、愛情の欠落、貧困、憎しみ、羨望と卑下、そして何より、暴力。

まだ途中なのでなんとも言えないが、とにかく後の殺人者となるゲイリー達兄弟は父親から相当な暴力を受け続けていたようだし、それ以前に愛されずに育てられたようである。この父親は「ならず者」で詐欺などで逮捕歴も数々ある。
「だから」殺人者に育つとは言えないが、どっちにせよ読んでいると眉間にシワが寄ってしまうすさまじい環境である。ちなみにこの書き手のマイケルは末っ子のせいか、父親の暴力を受けずに済んだ唯一の子どもであったらしい。もう少しで上巻が終わるが、親も相当ひどいものがあるが子供の方もあんまりまっとうとは言えない。いやはや、凄まじい家庭環境である。。。
【4日目】
寝るギリギリまで読んで『心臓を貫かれて』(上)読了。今朝から(下)を読書中。上のように遠い過去の話が中心ではなくて、ほぼ兄弟の子供時代とか最近のやりとりとかそういう次元でハナシが進んでいくのでいちいち立ち止まらずに読めるのでほぼ2/3を既に読めました。上を読んでいるときから疑問に思っていた「何故、マイケル・ギルモアはこのような本を書かねばならなかったんだろう」というのが下巻を読んでいくうちに分かってきました。

御幣があるかもしれませんが、そもそも「単なる殺人者」の弟であったなら、たとえば現代においてゲイリーが同じように殺人をしただけでは、他の幾多とある凶悪殺人の中でそれはそう特筆すべきことではなく、マイケルはこのような本を書くことはなかったのだと思います。しかし当時のアメリカでは死刑制度が復活されたばかりで、しかも実際に死刑にされた人は長く存在していなかったという状況でした。そんな中でゲイリー・ギルモアは単に自らの欲望のためだけに罪も関係もない人を二人も殺し、そして自らがこれ以上刑務所で苦しい服役を務めることから逃れるためと、自らの宗教の考えに従っての銃殺による死刑を望み、最後にはそれを勝ち取ったのでした。その事実はつまりそこで終わる出来事にはならず、むしろ死刑制度の復活を意味し、また死刑が図らずも殺人者の希望を叶えてしまったという何とも言いがたいジレンマを引き起こしてしまったのでしょう。まだ最後まで読んでいませんがどうもゲイリーが自らの罪を悔いて誰かのために死刑を望んだということは有り得ないようです。

もちろん死刑にされるような人生も、殺人を犯してしまうような人生も、ゲイリーは望んでいたわけではないですし、幸せであったわけは勿論ありません。それどころか、ゲイリーはおそらく人生を、父を、周囲のあらゆるすべてのことを憎み、そしていくつもの絶望を重ねて最後には希望は「死」しかなくなってしまったのだろうと思います。いくつもの罪を重ね、刑に服しながらも「受け入れてもらうこと」「愛されること」をゲイリーは求め続け、しかしそれは手に入らず、それを周囲のせいにして暴力をふるうことしかできなかった。とんでもない存在としか言えない筈なのに、読んでいるとその底辺に流れつづける悲しみの深さが胸にせまってくるのです。フランク・ギルモアはこのような身内の話をいくらでも同情的に書くことができたにもかかわらず、とても正直に、そしてできるだけクールに書いていると思います。終盤にわたり、マイケルがどのような結論を下すのか、興味深く読み進んでいきたいと思います。
【5日目】
読了。下巻に入ってからはすごく読みやすくなりました。宗教の歴史とかそういうのじゃないので普通の小説のように読めるからでしょう。予想していたよりドロドロしていなく、けれども確実に大きな波紋を家族や周囲に与えるものなのでした、しかも長期に渡り。そしてそれは社会的な影響よりもむしろ家族一人一人の精神のあり方とか生き方に強い影響を及ぼすものなののようです。ふーむ。。。最後のほうでマイケルが物語の終わりについて触れ、物語としては「終わり」はあるけれども、しかし「人生は続くということ」について書いているのが興味深かった(このようなテーマについての感想は以前にも自分で書いたと思うのでつまりは私の関心のあるところなのだろう)。マイケルは言う。「その人生の中では、死者たちの残した波が収まることは、絶えてないのだ。」人の噂は七五日とかいうが、……そういうわけにいくもんじゃないということだ。うううむ。なんだかなあ。