2002/08/28

パーク・ライフ

パーク・ライフ
吉田 修一
文藝春秋 2002-08-27


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■吉田修一
【1日目】
帰り本屋の平積みをチェックしたら、おお。先日読んだ『パレード』がなかなかよかった吉田修一の芥川賞受賞作『パーク・ライフ』の単行本が並んでいるではないか。意外にも著者の写真が装丁(口絵)に使われている。へー。帯によると恋愛小説ぽいからその分野はなあ、と一瞬躊躇したけれど前作がよかったし、冒頭をちらっと見たらいい感じなのでゲット。あと、出たら必ず買うエリザベス・フェラーズの新刊が創元推理文庫から出ていたのでこれもゲット。
というわけで『パーク・ライフ』読み始めています。薄い本でカバー外したときの紙質がいい感じ。やはり文章というか言葉の選び方、繋ぎ方、そこから醸し出す雰囲気がちょっと独特で、いいなあ。
【2日目】
読了。――これ、1冊で1つのお話と思って読んでいて、「さーてこれからいよいよ展開が?」と思ったところで話が終わってしまったので一瞬マジで途方に暮れてしまった。思わず次の話の冒頭を読んで、そこにあるのがまったく別の話だということを確かめたりしてしまった。そうか短篇でしたか……。で、こういうラストである、と。ふむふむ。とか思いつつ数ページ戻って「こうきてこうきて、そか、そんでここで幕を引いちゃうんだ」とか確かめたりしてしまいました。いやはや。
でもどっちにせよ(そういう誤解をしていなかったとしても)、「パークライフ」というのは階段を上がっていって、ドアを開けるところで終わる話なんだと思う。あるいは、助走を付けて走っていって、跳び上がった瞬間で終わる物語。……読者は、このあと主人公が、そして相手の女性がどう生きていくかを想像する楽しみを与えられている。

簡単にストーリーを書くと、恋愛小説ではないのです。主人公の青年が、ふとしたきっかけで言葉を交わすようになった女性と公園のランチタイムでしばしば顔を合わせるようになる。表面的な動きというのはそれだけ。そこに青年の思考、女性の発言、その他の人々の様子、なんかが絡んできて、とても不思議な感じのきらめく一篇に仕上がっている。パーク・ライフとあるように、「都市の中の公園という場所」という独特の存在が生み出すニュアンスみたいなものも、感じられる。『パレード』よりあっさり、というか乾燥させて、無味無臭を装いながらスラッと「現代の歪み」を突きつけてくれる味わいもある。

ラストについて、読んだ直後は「この彼女と彼の恋愛がこれから始まるのかな」と思ったんですけど、後々考えてみるに、そういう展開にはならないんじゃないかと。……むしろこの二人の描き方から、女性が最後に「決めた」と言ったのは「都会を去って写真にあった故郷」に帰って何らかの仕事を始める(これは田舎で嫁ぐ、というのでは絶対にナイ筈)ということじゃないのかなあ、と思った。今の生活を切り捨てる、そんな潔さが感じられたからなのだが。どうだろう……。これは読み手によって解釈が分かれると思います。

で、もう一篇の「flowers」ですが。「パーク」が”乾燥”ならこれは正反対のイメージの小説。濡れたような、ドロリとした血液のような体液のような。――イヤ、単純にそういう「シーン」があるってだけじゃなくて、小説全体のムードや、人間関係の描かれ方が、じとりとした感じなのです。”flowers”というのは作中で登場人物が活ける「花」でもあるし、描かれる「女」でもあると思うんですけど。
しかし「パーク」も「フラワーズ」も書かれる手法は正反対に見えるけれども、書かれているテーマそのものは非常に近いんだと思う。どちらも、「現代の人間関係」だし、退廃的でどこか投げやり的で、この時代を生き抜くための世間とのフィルターを作って生きている人間が書いてある、と。
どうでもいいけどこれも「帯」の文句はあてはずれとゆーか見当違いとゆーか……(私にとっては、ですけど(^^;)。なんでここに「恋」という字を使うのかなあ???良心、ある?(笑)。